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「国葬」というのは、そう簡単にはしないものだと思っていたのですが。

英国のエリザベス女王が亡くなりました。
ご長寿な上に若い時から公務に専念されて、多くの国民から慕われ続けたのは、それだけ功績が大きく、人間的な魅力に溢れた方だったからでしょう。

英王室に詳しくないので、不倫を貫いた息子とカミラ夫人が今の座に収まっているのが解せない。女王様はどのようにして自分を納得させたんだろう。

ま、それは置いといて。
女王様は文句なしに「国葬」ですね。

私は「国葬」というのはこういうものだと思っていました。
功績も、心情的にも、ほぼ「満場一致」で国民に敬われる人のために行われるものだと。

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2016年11月11日から14日まで、3泊4日で友人と微笑みの国・タイを旅行しました。いいキャッチフレーズです。
9月頃から旅行社へ行って計画を立てていたのですが、10月13日にタイのプミポン国王が崩御。その後、間もない時に、タイへ旅行してもいいのかなあと、少し迷いましたが、問題はないだろうということで予定通りタイへ。

プミポン国王(正式にはラーマ9世・1927年~2016年)はお兄さんが亡くなったため23歳で国王となり(戴冠)、2016年で在位70周年でした。民主主義の考え方を重んじ、国民の立場に立った国王だったので、大変な人気でした。また、スポーツや音楽を愛し、プロ級だったそうで、国民に慕われるのもうなづけますね。

亡くなって1か月後のタイの街は弔意を表す飾りつけであふれ、思いがけず貴重な経験ができました。

崩御1か月後の11月13日。「国葬」と呼ぶのでしょうか、国民誰もが参列できる行事に遭遇しました。

では、6年も前になってしまいましたが、プミポン国王を悼む写真特集にお付き合いください。

11月11日に降り立ったスワンナプーム空港には国王を悼む電光掲示板
大きなショッピングモールの入り口に設けられた記帳所。他のデパートにも。
だれでも自由に記帳できます。日本語で記帳してきました。
鉄道のコンコースに設けられた記帳所
駅のホームにも電光掲示板
ちょっと写りが悪いですが、陸橋からビルの外壁に掲げられた電光パネルを写しました。
国王はサックス奏者で、音楽活動もプロだったそうです。
現地の知り合いが住む郊外の町の裏通りにも追悼の看板
11月13日。王宮の庭の周囲をぐるりと囲み、葬儀に向かう国民の長蛇の列。
道路沿いのあちこちに国王の写真
雑誌には国王の特集記事が掲載され、ムック本も発行されていました。
国民は職場でも、プライベートでも、黒い服を着て喪に服しました。

プミポン国王亡き後、王位継承したのは、問題の多い息子で人気無し。
エリザベス女王の息子チャールズさんも人望薄いらしいし。
先代が優秀だと息子二人も大変だろうけど、同時に子育てって難しいんだなあと思いました。

そして、エリザベス女王崩御と安倍さんの国葬問題。
自民党にとってはタイミングが悪すぎますよね。
恥ずかしくて「国葬」なんて言えない。

「安倍さんが力を入れていたから、国葬に訪れる各国首脳と積極外交を」って、いくら政治手段の一つだからといって、国民が「よし!いいぞ!頑張れ」って言うと思ってるのだろうか?

政治素人の一国民である私からしたら、「葬式まで利用していいカッコしなくても~」と思うのだけど、何か深~い理由があるのなら教えていただきたい。

国葬騒動で思い出した旅の想い出でした。

とにかく、ほとんどの国民の中では、モリ・カケ・サクラは終わってない。
と思う。

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