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ワンランク上の語学を身につけるセンス

私は外国人に日本語を教えるボランティアをしています。気がついたら20年経っていました。あっという間の20年。日本語学校に少し勤めていた時期もあったのですが、本業と両立させるのは結構大変で、週1回のボランティアに。今は、世の中が非常事態のうえに、私の両親のサポートが始まってペースがつかめないのもあり、お休みしています。教室自体も休校中です。

私が所属する団体は日本語学校の教師が立ち上げた団体なので、ボランティア教室と言えども学校のような内容の濃い授業で、生活支援ではなく、言語を教えることがメインです。その国の言葉がわからないのは、とても不自由ですからね。

ボランティア教室では『みんなの日本語』というポピュラーなテキストを使っているのですが、初級の最後に勉強するのが「敬語」です。外国人にとっては、この「敬語」とか、初級後半に出てくる「受け身」「使役」「使役受け身」などが難しいようで、他の課より時間をとって練習も増やします。

この難しい表現が使えなくても生きてはいけますが、日本で何をしたいのか、母国に帰っても日本語を使う仕事をするのか、など、人それぞれで真剣度は違います。単に、語学が好き~みたいな外国人もいるから面白い。

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これは、「敬語」に関して知り合いの先生から聞いた話です。その先生が担当する学習者ではなかったのですが、敬語を勉強していた欧米系の学習者が「なぜ、謙譲語を使う時、自分を低めないといけないのか?自分は相手より下ということか?それはおかしい!」のような質問をしたそうです。

ざっくり言うと、ご存知のように敬語は以下の3種類に分かれます。

尊敬語:聞き手の行為や状態そのものを高めて敬意を表す
例:お飲みになる(お~になる)、召し上がる・いらっしゃる・ご覧になる(言葉自体に尊敬の意味を含む)
謙譲語:話し手の行為や状態を少し低めて間接的に聞き手への敬意を表す
例:お持ちする(お~する)、参る・伺う(言葉自体に謙譲の意味を含む)
丁寧語:名詞にを付けたり、ありますございますにするなど

学習者に教える場合、それぞれ中身が細かく分かれるのですが、ここでは割愛します。

尊敬語と謙譲語を感覚的にわかってもらうために、自分(話し手)と相手(聞き手)の絵を描いて、位置づけが高い、低いで表して説明することが多いので、さきほどの疑問
「なぜ、謙譲語を使う時、自分を低めないといけないのか?自分は相手より下ということか?それはおかしい!」が出てきたのでしょう。

いかにも欧米系から出そうな感想。日本人なら、え~~~と思っても、感覚的にはわかります。

質問された教師はもう一度説明したのでしょう。そこで、件の学習者が出した答えに私はなるほど!と思ったのです。

「謙譲語の気持ちは、ホテルのドアマンの気持ちだ。」

おぉ、かっこいい!

お客様を最初に迎えるドアマンは、ホテルの顔と言われます。
お客様を立てて丁寧にお迎えするけれど、へりくだる(卑下する)のではなく、自分の仕事に誇りをもって凛としている、といった心持ちでしょうか。

先生の説明が上手だったのか、その学習者のセンスが良かったのか、謙譲語を使う時にとてもフィットする感覚だと思います。

言語は記号であり、道具だとも言われますから、ただ単に要件が伝わればいいという考え方もあるでしょう。テキストに沿ってたくさん練習問題をすればそれなりに身につけることはできます。
しかし、より質の良い外国語を身につけたいのなら、この学習者のように、文化や国民性、気持ちのやり取りといったことに思いを馳せるセンスが欠かせないのではないでしょうか。語学もセンスです。


●日本語ボランティアを始めたきっかけのお話です。






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