私的国語辞典~二文字言葉とその例文~ セレクション4『兄(あに)』
セレクション4『兄(あに)』
小学生のころ、同級生に『鬼子』と呼ばれていた女の子が居た。
容姿が鬼のようだった…とか、性格が狂暴だった…とかではなく。
問題は、彼女の兄貴だった。
彼女の兄は、まさしく鬼のようだった。
中学生なのに身長は2m位でガタイも良く、三白眼に薄い眉、低い鼻に大きな口と来れば、今ならともかく、当時の小学生が見れば誰もが震え上がるだろう。
もちろん、彼はこの小学校の卒業生なので、在学当時の伝説が嫌というほど残っている。曰く、
『5年生の時に、臨海学校先でサメを倒した』とか、
『4年生の時に、暴走族が五月蝿いからと、チーム1個潰した』とか、
『修学旅行先の北海道で行方不明になり、見つかった時には熊の首を手にぶら下げていた』とか。
まあ真実がどうだったは今でもさっぱり分からないが、少なくともそんな噂のある兄を持てば、例え容姿が可憐で病弱そうで文学少女っぽくても、普通なら敬遠してしまうだろう。
実際、彼女の周りには、少なくとも5年生位になる頃には、僕以外は誰も近寄らなくなっていた。
そう、僕を除いては。
僕と彼女は、保育園からの幼なじみだった。
だから、彼女の兄が本来は優しい人で、今でも真っ直ぐ帰宅すると、庭の家庭菜園を嬉しそうに弄っている事を知っていたし、彼女が本当は明るい子で、家では兄を蹴り飛ばしたりする位活発なのも知っていた。
もちろん、同級生の誤解を解こうと努力はしたが、ウルトラマンや七不思議を信じて止まない小学生相手に、同じ小学生の言葉での説得は通じなかった。
「いいよ、大ちゃんが分かってれば」
そう言って微笑む彼女に、僕は初めて挫折感と無力感を感じたんだっけ。
その後、誤解はある事件を境に解けるのだが、その事件のことには触れたくないのでここには書かない。
――ひとつだけ言える事は。
悪意の篭った噂は、その対象者の人生を狂わせる事もある。
――と言うことだ。
幸いに、大人になった今でも、彼女は不甲斐ない僕の妻として笑顔で過ごしている。
恐らく今日も、兄の遺した庭の草木を世話している事だろう。
あの、優しい微笑を浮かべながら。
『兄(あーに)』
1 きょうだいのうち、年上の男。⇔弟。
2 《「義兄」とも書く》妻や夫の兄。また、姉の夫。義兄(ぎけい)。
3 (「あにさん」などの形で)年配者が若い男を親しんでいう語。
(大辞林より引用)
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