私的国語辞典_表紙絵2

私的国語辞典~二文字言葉とその例文~ セレクション11『色(いろ)』


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セレクション11『色(いろ)』



突然決まった非番の昼下がりほど、退屈を持て余すものはない。
私は近所の小さな公園にあるありふれたベンチに座り、あくびを噛み殺していた。
平日の昼下がりの公園は思っていたよりも人がおらず、私は左手で玩んでいた缶コーヒーを口に含みつつ、目の前の母子をぼんやりと眺めていた。
いや、誓って言うが、変な気を起こそうと思っている訳ではなく。
その母子の妙な会話が気になるのだ。

その母子が公園に入ってきたのが、今から15分ほど前のこと。
母親は30代くらい、娘さんは5歳くらいだろうか、春の陽気に合わせて、二人とも柔らかい色のワンピースにカーディガンを羽織っている。
真っすぐ公園の中央に在る桜の木の前に向かうと、ゆっくりと母親がしゃがみ込んだ。
『良い?今から当てゲームをするからね』
『いろあてゲーム?うん!』
にこやかに笑う子供に、母親もつられて笑顔になる。
その母親の笑顔が悲しげに見えたのは、気のせいだったろうか。
『良い?外れても良いんだからね。わかった?』
『うん!』
子供の元気な返答に笑顔で頷き、母親は桜の木を指差した。
『あの桜の花は何?』
『あお!』

…え?
いや、ピンクだろ。

『外れ。ピンクだね…じゃあ次は、あのぞうさんは?』
『あかいろ!』
『惜しい、白だね』

結局その母子は、そんなやり取りを15分経った今まで続けている。
驚くべき事に、その子供は総てのクイズをことごとく外していた。
当然だろうが、答える子供が涙声になっている。
母親はそんな子供の頭を撫でながら、また桜の木を指差した。
「もう一回行くよ。あの桜の花は何?」
母親の問いに我慢が出来なくなったのか、子供は上を向いて大声で泣きはじめた。
「わかんない!もうわかんないよう!」
その慟哭にも似た泣き声に、思わず私の胸が締め付けられるように苦しくなる。
「だってあれはあおだもん!お母さんそう言ってたもん!」
激しく泣き続ける子供を見て、私の脳裏を『ネグレクト』と言う言葉が過ぎり、母親へと視線を移動する。

母親も、泣いていた。
何時からだろう、あまりに静かに泣いていたため、まったく気が付かなかった。

あの母子、何があったのだろう。

「さっちゃん、ごめんね。訓練辛いだろうけど、今からしておかないと、普通の生活ができないからね」
母親は子供に気付かれないよう、そっと涙を拭いて、優しく問い掛ける。

そこにきて初めて、違う言葉が脳裏を過ぎった。
「……覚異常、か」
思わず言葉が口から漏れ出る。

それが聞こえたのか、雰囲気を察したのか。
子供が突然泣き止み、おずおずとこちらを見詰めてきた。
心なしか、助けを求めているように見える。
子供の視線に気づいたのか、つられて母親もこちらを見上げる。

――ああもう、非番なんだけどな。
私は溜息とともに、ゆっくりと立ち上がり、母子の元へ近づいていく。
――見ちゃった以上、関わらない訳にはいかんよな。
不審そうに見詰める母親に、私はにっこりと微笑み、尚も近づいていく。

――治せるかどうかは関係ない。

彼女達の前まで来て、急に喉の渇きを覚え、私は缶コーヒーの残りを飲み干した。

――ま、見て見ぬ振りは出来ないよな。

私はその場でしゃがみ込み、目を真っ赤にしてきょとんと見詰める子供に笑い掛けた。

――だって俺、医者なんだもん。


『色(いーろ)』
[名]
 1㋐光の波長の違い(色相)によって目の受ける種々の感じ。原色のほか、それらの中間色があり、また、明るさ(明度)や鮮やかさ(彩度)によっても異なって感じる。色彩。「―が薄い」「暗い―」「落ち着いた―」
  ㋑染料。絵の具。「―を塗る」「―がさめる」
  ㋒印刷・写真で、白・黒以外の色彩。「―刷り」
 2 人の肌の色。人の顔の色つや。「抜けるように―の白い人」
 3㋐表情としての顔色。「驚きの―が見える」「不満が―に出る」
  ㋑目つき。目の光。「目の―を変えて怒りだす」
 4㋐それらしい態度・そぶり。「反省の―が見られない」
  ㋑それらしく感じられる趣・気配。「秋の―の感じられる昨今」「敗北の―が濃い」
  ㋒愛想。「―よい返事」
 5 (「種」とも書く)種類。「―とりどり」「三(み)―選び出す」
 6 華やかさ。華美。「大会に―をそえる」
 7 音・声などの響き。調子。「琴の音(ね)の―」「声(こわ)―」
 8㋐情事。色事。「―を好む」「―に溺れる」
  ㋑女性の美しい容貌。「―に迷う」
  ㋒情人。恋人。いい人。「―をつくる」
 9 古代・中世、位階によって定められた衣服の色。特に、禁色(きんじき)。
 10 喪服のねずみ色。にび色。
 11 婚礼や葬式のとき上に着る白衣。12 人情。情愛。
[形動ナリ]
 1 女性の髪などがつややかで美しいさま。
 2 好色なさま。


(大辞林より引用)

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