私的国語辞典_表紙絵2

私的国語辞典~二文字言葉とその例文~ セレクション20『似非(えせ)』



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セレクション20『似非(えせ)』


                                                                                                         

「エセ科学って知ってるかい」
ベッドの上で唐突にそんな話を切り出す彼に、私は一瞬どきり、としながらも、表面上は平静を装って、彼を見つめた。
「どしたの突然。した後の会話にしては随分と唐突じゃない?」
「ん?いやね、今日もそう言う話を見つけてね。その時は後で調べてみようと思ってたんだけど、すっかり忘れてたんだ」
彼は天井を見上げたまま、話を進める。
「そもそも、エセって、『似非』と言う漢字を当てるんだ。『似て非なるもの』って意味だね」
彼の声に少しずつ力が篭り始める。昔はこんな語りも煩わしくは感じなかったのに。
似非科学ってさ、アプローチの仕方は星の数ほど在るんだけど、その発生に至るプロセスはまるっきり同じなんだよね」
「発生プロセス?」
私の問いに、彼は上を向いたまま頷く。
「そ。ほら、どんな理論や研究も、突き詰めれば『データを基に検証を繰り返し、結論を導き出す』と言う過程が有るよね」
「まあ、確かにそうね」
似非科学も、その過程に於いては普通の科学と同じなんだ。ただ普通と違うのは…何だと思う?」
突然の問いに、面倒臭いと感じながらも私は応える。
「ううん、解らない」
私の答えに、彼は柔らかな微笑みを見せた。
「それはね、『検証から結論に至る際に、半ば強引に持論へと誘導してしまう』と言う習性が有ることなんだ」
「強引に?それじゃあ結論にならないと思うけど」
思わず漏れた疑問に、微笑みで応える彼。
「そう、結論になってない。つまり、持論を証明するに足る根拠に成り得てないんだね」
彼はそこで一旦話を区切ると、腕枕をしている右腕を器用に使って、私の頭を優しく撫でた。
「俺、その結論に至るプロセスの部分に最も興味をそそられるんだ」
「それって、心理的な話?」
「そう。どんな心理的要因が有ってそんな結論に至ったのか。そこにはきっと、人間にとって大事なものが隠されている気がするんだ」
「ふうん、大事なものが…ねえ」
私は興味が無い事を悟られないように細心の注意を払いながら、彼に合いの手を入れる。
「例えば『希望』とか『願望』とか…そういうもののこと?」
私の呟きに、彼の手が止まる。
「そうかも知れないし、そうじゃないかも知れない。誰かに望まれたせいかも知れないし、誰かを望んだからかも知れない」
彼の言葉がふいに止む。
「私、そろそろ…」
切り上げ時を見ていた私がゆっくりと起き上がるが、彼は何も言わない。
私が立ち上がり、脱ぎ捨てていた下着をつけ始めても、彼は引き留めようとはしない。

化粧を直しながら、私はふと気がついた。

そうか。
今の話は、私の事だったのか。
周りに流されて、自分の願望の為に自己を正当化している私の。

「じゃあ、行くね」
そう告げてドアを開ける。
「ああ。原田さんに、よろしくと伝えて欲しい」
私の背に優しく触れる彼の声が、今はとても悲しかった。


『似非(えーせ)』
[接頭]名詞に付く。
 1 似てはいるが本物ではない、にせものである、の意を表す。
  「―文化人」「―学問」
 2 つまらない、とるにたりない、質の悪い、の意を表す。
  「―牛ならましかば、ひかれて落ちて、牛も損なはれまし」〈宇治拾遺・一〇〉
[形動ナリ]劣っているさま。つまらない。
  「―なる男親を持たりて」〈枕・三〇七〉

(大辞林より引用)

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