私的国語辞典~二文字言葉とその例文~ セレクション97『米(こめ)』
作者駐:
『私的国語辞典』は全文無料で閲覧が可能です。ただ、これらは基本『例文』となっておりますので、そのほとんどが未完となっています。
基本的にそれらの『例文』は続きを書かないつもりではおりますが、もしどうしても続きが気になる方は、投げ銭して戴ければ有料部分に続きを執筆いたしますので、よろしくお願いいたします。
セレクション97『米(こめ)』(1274文字)
――ふと、ご飯が食べたくなった。
おかずが要らないくらい、おいしいご飯が食べたくなったのだ。
いや別に貧乏でおかずが作れないとか、そんな訳ではない。
絶対にだ。
僕はワンルームの片隅に在るキッチンに向かう。
いや良いじゃないか、4畳半でもワンルームには違いないし、ボロボロの台所でもキッチンだろう。
僕は嘘は言ってない。
僕は嘘つきは嫌いだってんだくそう、春香の奴め二股しやがって。
僕は昨日フッテヤッタ元カノに怒りを覚えつつ、ずっしりと重い米袋を取り出して、引き出しにしまっていた計量カップを袋に突っ込む。一瞬袋にマジックで書かれた母親の言葉が目に入るが、今はご飯が先だ、気にしないでおくことにする。どうせ仕送りのたびに書いてくるお決まりの言葉だ。
僕は口笛を吹いてごまかしつつ、棚から取り出した土鍋に米をほうり込み、そのまま土鍋を蛇口の下に置き、水を勢いよく出して米を踊らせた。
『米はがしがし研がなくても良いの。水に潜らせるだけで十分』
脳裏に春香の声が響く。
くそうあいつめ、二股なんてしやがって。
僕は再び沸き上がる怒りに血をたぎらせつつ、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、計量カップで適量量って土鍋に投入する。
「これで30分、か」
怒りに身を任せていても、水を吸わせる時間は忘れない。
なんて冷静な男なんだ僕って。
なのになんで二股なんて。
ぶつぶつ。
※
30分後。
怒りに任せて暴れ回り隣の酒井さんに怒鳴られてしゅん、としてるところで、セットしていたキッチンタイマーの音色が馬鹿みたいにけたたましく響いたので、僕は凹みつつも土鍋をコンロに移して中火にセットした。
まずは中火で5分。
せっかちは嫌われるからな。
二股もされるし。
くそう。
僕の脳みそが怒りで沸騰する前に土鍋の蓋の隙間から泡がぶくぶくし始めたので、慌てて吹きこぼれないように火を調整する。
『ここからが大事なのよ』
再びの春香さん登場に暴れ回ること10分。
僕は慌ててコンロの火力を強火にし、息も絶え絶えに10数えたのち、火を止めた。
「……これで、あとは、蒸ら、し15分か」
僕は自分に言い聞かせるようにつぶやくと、疲労でふらつきながらワンルームの中央にある丸いテーブルの傍に座り込んだ。
いやちゃぶ台ではない。懐古的デザインの木目が美しいテーブルだ。
いやそれもどうでもいい。
まったく、余計なムーブを入れたせいで、ご飯を炊くだけなのにかなりの体力を消耗してしまったではないか。
もったいない。
それもこれも二股が悪い。
フタマタ、カッコワルイだ。
くそう。
※
15分後。
僕がオリジナルソング『フタマタカッコワルイ』をラップ調で熱唱し、再び酒井さんに怒鳴られてしゅんとしていると、またあのけたたましい音が響き渡り、慌てて土鍋のもとに馳せ参じる。
土鍋の蓋から漏れ出た糊が
『中で美味しく炊けてますよー』
と、まるで風俗店の前に立つ兄ちゃんのようにアピールしてきたので、僕は童貞少年のようにふらふらと土鍋の蓋を持ち上げる。
とたんに土鍋から広がる甘い香りの真っ白な湯気。
上手く炊き上がった真っ白なご飯に、僕の頭の中も真っ白になった。
さあ、食べるぞ。
(1274文字)
『米(こーめ)』
稲の種子からもみ殻を取り去ったもの。もみ殻を取り除いただけのものを玄米といい、さらに薄い表皮をとって精白したものを白米または精米という。粳(うるち)と糯(もち)がある。日本人の主食。酒・菓子などの原料としても広く用いられる。
(大辞林より引用)
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