私的国語辞典~二文字言葉とその例文~ セレクション42『亀(かめ)』
セレクション42『亀(かめ)』
最近知人から、引越準備を理由に一匹の亀を預かった。
飼育に手間がかからないから、と告げた知人の言う通り、確かに一人暮らしの私でも苦にはならなかったし、何より仕事疲れを癒してくれるので、最初のうちはこの珍客との生活がとても楽しかった。
そう、最初のうちは。
1週間位経った頃だろうか。
知人からもう少し預かって欲しいと頼まれ、了承したその晩から、少しずつ生活に違和感を感じるようになった。
例えば、――
朝起きてみると、亀の水槽の脇に置いていた家族の写真が伏せられていた、とか。
次の日には本棚の本やアルバムが床に落ちていた、とか。
最初のうちは私が寝ぼけてやったのか、と、腑に落ちないながらも自分を納得させていたのだが、さすがに枕元が藻と水でぐっしょりと濡れているのを発見した時には怖くなり、探偵をやっている友人に相談して、室内に無線操作の隠しカメラをセットしたのが昨夜の事で。
――で、今。
私は激しく鳴らされたチャイムの音で目が覚めた。
私は混乱した。
何が起きてるかまるで解らない。
朦朧としたまま起き上がろうとして、胸の辺りがしっとりと濡れている事に気が付いた。
慌てて周りを見ると、寝る前までは水槽の中に居たはずの亀がベッドの脇に転がっている。
「ひい」
訳も無く漏れた悲鳴と共に私は起き上がり、縋り付くようにして玄関のドアを開けると、そこには友人が居て、私をしっかりと抱きしめてくれた。
「あの男はまだ中に居るの?!ねえ、彼は誰?!」
何を言ってるのだろう。
私が首を傾げるのを見て、友人が部屋の中を睨むと、トランシーバーを取り出した。
「大輔、依頼人の保護をお願い。早く!」
※
「……大丈夫ですか?」
友人の乗ってきたバンの中。
私は尋ねてきた男性に頷いた。
「そっか、よかった。さっきはどうなる事かと思いましたよ」
え?
「あの……」
聞きたくない。
「はい?」
聞いちゃダメだ。
「あの、何が有ったんですか?私の寝ている間に」
私の質問に、答えを躊躇する男性。
「どうしようかな……多分、ショックを受けると思いますけど……」
男性は呟くように答えると、思い切ったように据え付けのノートパソコンを開いた。
「良いですか、あなたは今、安全な所に居ます。何を見ても、今のあなたには危害を加えませんからね」
やだ。
彼の言葉に頷く私。
「なら、映像をみせます。……ほんとに、気をしっかりと持ってね」
彼はそう言うと、動画ファイルの一つをダブルクリックした。
画面に、薄暗い私の部屋が映し出される。
時間は午前0時5分。私がベッドに入って30分位経った頃だ。
「『彼』が現れたのは、3時くらいでした」
彼はそう言うと、映像を早送りする。
やめて。
午前1時、2時、3時……。
居た。
暗い部屋の中央に、丸刈りの男が一人立っている。
「……え?」
私は状況が掴めないまま、映像を凝視する。
映像の中で、男は静かに私のベッドに近づくと、私の顔を覗き込み始めた。
「ひっ」
嫌だ。
私の口から漏れた悲鳴に気付いたのか、隣に座る彼がそっと肩に手を置いてから、更に少し早送りする。
早回しの映像の中、男はぴくりとも動かないまま、私を覗き込み続けていた。
「彼に心当たりは?」
突然ドアが開いて友人が飛び込んでくると、映像を見ている私に問い掛ける。
「知らない、こんな人」
ほんとに知らない。
私が即答すると同時に、映像の中の男が動き出した。
突然立ち上がり、まっすぐ水槽に向かうと、中から亀を無造作に取り出して、再びベッド脇に戻ってくる。
何これ。やだ。
男は亀を私の胸の上に静かに乗せると、
すっ、と立ち上がり、
隠されている筈のカメラの方を見て、
にやり
と笑った。
その後調べてみると、知人は私との電話の後、行方不明になっていた。
また、私は友人の勧めるセキュリティの強いマンションに引っ越したのだが、いくら探しても、あの時ベッド脇に残してきた亀は、見つける事ができなかった。
そして、誰にも言えないが、
私は今でも、枕元に『彼』を感じる時がある。
『亀(かーめ)』
1 カメ目の爬虫(はちゅう)類の総称。体の構造は中生代の祖先形から大きな変化がなく、背面と腹面とに骨質の甲をもち、中に頭・四肢・尾を引っ込めて身を守る。あごはくちばし状になり、歯はない。水・陸にすみ、イシガメ・クサガメ・ウミガメ・ゾウガメなど、種類が多い。長寿で、鶴(つる)とともに縁起のよい動物とされる。
2 《カメは酒をよく飲むといわれるところから》大酒飲みのこと。
3 紋所の名。親子亀、亀の丸、亀下り、三つ追い亀など。
(大辞林より引用)
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