羽山くんとわたしのはなし_表紙

『羽山くんとわたしのはなし』第1話『羽山くんとのはじまり』


無料作品目次第2話


                                                                                                      

いつもの朝。

いつものようにスーツを着て、
いつもの地下鉄に乗り、
いつものように窓の外を流れる明かりをぼんやりと眺める朝。

いつもと違うのは、こめかみの奥で断続的に打ち鳴らされる激しい鈍痛と、今朝からずっと隣に居る羽山くんの存在だけである。

そう。
私は今日初めて、人生始まって以来の二日酔いと、目が醒めたら見知らぬラブホの一室で、しかも裸で見知った男性の隣に寝ていたにも関わらず、昨夜の記憶が全くない、と言う経験をしたのだ。 

今の会社に入社してはや7年。
気がつけば『鉄の女』と呼ばれるようになっていたこの私が、
たとえ半年間一緒に仕事をこなしたとはいえ、5歳も年下の羽山くんにこうもいともあっさり陥落してしまうとは自分でもまったく想像してなかった。

「どうしたんですか、そんなニヤニヤして」

唐突に耳元で羽山くんの声が聴こえ、思わず飛び上がりそうになる。

「な、に、ニヤニヤなんてしてません!」

私が声を殺して言い返すと、彼はわざとらしいため息をつく。

「はいはい。解りましたから。ほら、もうすぐ着きますよ」

そう言って路線図を見る彼が憎たらしくて、私は彼の足にローキックを叩きこんだ。

もちろん、いつもよりほんの少し優しく。

ほんの少し、ね。


『羽山くんとわたしのはなし。』
第1話
『羽山くんとのはじまり』


「――で?結局思い出したの?」

昼休み。
私はまだズキズキするこめかみを指で軽く揉みながら、目の前に居る同期の花ちゃん――経理課のエース、櫻井花に首を振ってみせた。

「ぜんぜんだめ。昨日会社を出て二人で祝賀会したのは覚えてるんだけど」
「そもそもその祝賀会ってなに。仕事の?」

なんでそんなことになったの、と言わんばかりの表情の花ちゃんに、私は曖昧な笑みを作って返す。

「それがね、ほんとはプロジェクト成功のお祝いに、って、部署全員で打ち上げする予定だったのよ」
「プロジェクト、って、今度の新作の?」
「そう、販促プロジェクト」

私の答えに、花ちゃんはなるほど、とうなずく。

「確かにアレは、販促が上手くいったから売れたようなもんだしね」
「まあ、ソフト自体も良かったんだけどね……で、そんなわけで、私のおごりでみんな飲みに行くぞー!……って気合入れたんだけど」
「羽山くん以外誰も来なかった、ってわけ、か」

花ちゃんはそうつぶやくと、カップを摘み上げて、少しぬるくなったコーヒーを飲む。

「そうなのよ!ひどいと思わない?!」
「――なんで?」
「え?」

質問に質問で返されて、私は思わず言葉に詰まる。
なんで、――って、なに?

「――まあいいわ。ほら、つづきつづき」

少し呆れたような、でもどこか楽しげな花ちゃんに促され、私は首をかしげてみせてから、断片的にしか覚えていない記憶を辿りながら、続きを話し始めた。

 ※

祝賀会の段取りを全て羽山くんに任せたのは、単に彼が他のメンバーよりも仕事が早くて、手が空いていたからで、他にさしたる理由はなかった。
そもそも私は彼のことをただの気のつくチームの一人だとしか思ってなかったんだし。

だから正直、部長たちとの会議を終えて合流した居酒屋のカウンターに彼しか座ってなかったのを見たときは、まず何よりも先にしまった、と思ったのだ。
しまった、これは気まずいぞ――って。

「あ。こっちです」

私に気づいた羽山くんが、満面の笑みを浮かべながら手招きをしてくる。
さすがに気づかれたあとに帰る、というわけにもいかず、私は羽山くんほどじゃない笑みを浮かべながら、立ち上がった彼に促されるように彼の隣の席に座った。

「ええと、他のみんなは?先に来てるはずだよね?」

私ができるだけさり気なく質問すると、羽山くんは困ったような表情で、帰っちゃいました、と返してきた。

「なんだか皆さんお疲れだったようで、とりあえず今夜はぐっすり眠りたい、と」
「眠りたい――って、若いもんが何をやわなことを」

近づいてきた店員に生ビールを頼みながら呆れたように言うと、羽山くんがチーフだって若いじゃないですか、と笑って返してきたので、私は指を立ててちっちっち、と左右に振りながら、「ああダメダメ、アラサー女ナメんな」と切り返す。

「だいたい、うちの部署の平均年齢を上げてんの私なんだからね」
「いや、年齢の話じゃないですから」

羽山くんはそう言ってくすり、と笑うと、カウンター向こうの店員を呼びながら、チーフは確か砂肝でしたよね、と私に問いかけてくる。

「え?なんで知ってるの」

思わず問い返した私に、忘年会の時に美味しそうに食べてましたしね、とさらりと答えてから、近づいてきた店員に砂肝と手羽元を注文する彼。

「忘年会って、もう半年以上前じゃない。よく覚えてたわね」

半ば呆れたように私が言うと、しかし彼はさも当然、とばかりの表情で、「そりゃもう。チーフのことですから」と爽やかに返してきて、それがまた眩しいのなんのって。

「――なんです?」
「いや、若いって良いなぁ、って」
「ですからチーフもまだ若いですって」
「20代前半の若者に言われたくないっての。ほら」

私が苦笑いとともに持ち上げた中ジョッキに、彼は仕方ないですね、とばかりに手元のグラスを持ち上げ、乾杯、と笑った。


「……で、そのあとは覚えてるの?」

話しすぎて喉が乾いた私がグラスの水を一口飲んでいると、花ちゃんが明らかにつまらなさそうな口調で聞いてきた。

「ちょっと、何その『もう飽きました』って感じの聞き方は」

ちょっとムッとした私が思わず言い返すと、花ちゃんはあんたねえ、と溜息混じりにつぶやく。

「そもそもあんた、何年恋愛してなかったのよ」

うわ。
思いっきり斬りつけてきたよ、この人。

「な、何よ突然」
「そりゃ聞きたくもなるっての。何よそのニブさ」
「に、ニブ……?!」

呆れたように畳み掛けてくる花ちゃんに、でも私は返す言葉が思いつかない。
そんな私を見て、花ちゃんは盛大にため息をついた。

「ほんと、これで仕事の時は『鉄の女《アイアン・レディー》』とか呼ばれてるんだからなあ、この人」
「う、うるさいわね!花ちゃんだって『リアルウォール・マリア』とか呼ばれてるじゃない!」
「いいのよ私は。なんせ上司が山本課長なんだし。だいたいね、みんなバカな領収書持ってきすぎなのよ。あんなもん受領出来るわけがないでしょ?」

思わず使った切り札をあっさりひっくり返され、おまけに業界でも知らないものはいない経理の鬼、『鋼鉄の男《スティール・マン》』の名前まで出されてはもう、私はぐうの音も出ない。

「どうせ鈴木課長に全部跳ね返されちゃうなら、私のところで突っぱねちゃったほうが早いもの。違う?」
「う、は、はい……」
「っていうか私のことはどうでもいいの。あんたよあんた、あんたのこと!」
「うっ、は、はい」

もう完全に負けを認めた私を見て、花ちゃんが仕方ない、とばかりにまたため息をつく。

「ほんと、オフになると途端に天然キャラになるんだから。卑怯ったらないわよ」
「ひ、ひきょ……?!」
予想もしない言葉に驚いていると、花ちゃんはグラスに突っ込んでいたストローをつまんで、私に向けてひらひらと振ってみせる。

「身長162cmで童顔なのに、出るところ出て引っ込んでるとこ引っ込んでて。男顔負けの仕事っぷりで、でもオフは恋愛に疎い天然キャラ。……これだけ揃ってて、卑怯じゃないわけないでしょ」
「いやでも私29よ?アラサーでそれって単なるイタい人じゃないの」
「そのイタい人に惚れてるから、わざわざ一人で待ってたんでしょうよ、羽山くんは」

うっ。
そう来たか。

「だいたいさ、知ってる?羽山くんって女子社員には人気なんだよ」
「そうなの?知らなかった」
「そうなの。でもね彼、普段からあんたしか見てないからさ、みんな諦めてんの」

『ウォール・マリア』の『マリア』は、マリア様のマリア。
女子社員が全幅の信頼を寄せる彼女と、女子社員に遠巻きに見られ続けている私とでは、当然のことながらそっち関係の情報に差が出るのは知ってはいたけども。

「そ、そうなの?!し、知らなかった……」
「そりゃそうよ。まったく、仕事のこと以外になるとぜんぜんダメなんだからなあ、あんたは」

花ちゃんはそう言ってまたため息をつくと、ぼんやりと窓の外を眺める。
そんな横顔が如何にも頼れる大人の女性、って感じがして、そういう風に見られたいと思ってる私はちょっと羨ましく思うのだけど、本人にそんなことを言えるはずもなく、私は両手で持ったグラスの水にちびり、と口をつけた。

 ※

乾杯してからしばらくは、二人でありきたりな話をした記憶がある。
例えばゲームなんてしたことがなかった私がどうしてゲーム会社の営業を志望したのか、とか。
例えば如何にも爽やかなイケメンの羽山くんがどうしてゲーム会社に就職を決めたのか、とか。
羽山くんが私のチームに配属になってから遭遇したトラブルの話とかそんな感じの、まあ社員同士の飲み会ならありきたりな話ばかりだったと思う。

なのに二人して妙に話が盛り上がったのは、――今考えてみたら羽山くんのおかげだったのだろう。
彼の配属後すぐに徹底して叩き込んだ『話し上手は聞き上手』がキチンと守られていることが嬉しくて、私のテンションは知らず知らずに上がっていたのだろう。

この辺りから、私の記憶はすうっと抜け落ちていた。


  ※


「――で、その後気がついたら、嬉し恥ずかし朝帰り、ってわけね」

とりあえず覚えてる限りのところまで話を終えた私に、花ちゃんが今日何度目かのため息をつく。

「う、うん」
「かあっ、ホントにまったくこのリア充め」
「り、リア充って、花ちゃんだってラブラブじゃないの」

思わず言い返した私に、花ちゃんはふふん、とドヤ顔してみせる。

「そりゃ私は正気を保ったままお付き合いしてるもの」
「ぐ、ぐう」

見事な切り返し。
ホントにこの人は、鉄壁の――いやダイヤモンド並みの城壁だわ。

「ああもう負けました負けました。負けましたからかんべんしてよお」

私がテーブルに両手を投げ出しながらパタリ、と突っ伏すと、花ちゃんは勝った勝ったとひとしきり笑ってから、私の頭をそっと撫でた。

「――実はさ、見ちゃったんだよね」
「――え?何を」

思わず顔を上げて花ちゃんを見ると、花ちゃんは困ったような、でもほんのちょっと嬉しそうな表情で目をそらす。
――こんな花ちゃんの顔、初めて見た。

「昨日の夜、あんたと羽山くんをさ」

その一言に驚く私に苦笑いしつつ、花ちゃんはゆっくりと話し始めた。



「こおら、なんでまっすぐ歩かないのよう」 

彼氏と食事をした帰り。
聞き慣れた声が聴こえてきたように感じて周囲を見回すと、そこには20代半ばだろうか、酔ってふらふらになっているスーツ姿の若い女性と、その女性に肩を貸す若い男性の姿があった。
明らかに男性よりも少し小柄なその女性は、寄り掛かるようにして彼にもたれ掛かっている。

「あ、歩けてないのはチーフですよ。ほんとにもう、飲み過ぎですって」

彼が苦笑気味に答えるのを聞いてか聞かずか、彼女は「んなにおぅ」と言いながら彼の肩をほどこうとする。

「いやいやいや、駄目ですって。また地面に寝ちゃうでしょ」

慌てて肩に担ぎなおす彼に、彼女は口をとがらせて反論する。

「なにをしちゅれいな。寝るわけないじゃないか」
「いやさっき歩道のど真ん中でやってましたって。ああもう良いからおとなしく担がれてて下さい」

彼が少し強めの口調で彼女に告げると、彼女は「うん」とやたら素直におとなしくなる。

「ねえ、」

彼はタクシーを探しながら、ぽつりと問いかけてきた彼女に声をかける。

「なんですか?」
「なんでキミはそんなに正気なんですかぁ?」

彼女の切れの悪い質問に、彼が呆れたような顔をする。

「だって、俺、飲んでませんもん」
「んなにぃ?!」

彼の返答に、彼女の顔ががばっと起き上がる。

「何ぃ、もなにも、俺下戸だ、って前から言ってましたよ」

呆れたような彼の返事に、ああそうだっけ、と彼女が首を垂れる。

「じゃあ何よお、私は飲めないキミに無理やり祝賀会の幹事を頼んでた、ってわけねえ」

彼女が落胆したような口調でつぶやき、ちょうどタクシーを見つけて手を挙げた彼が再び呆れたような顔でちらりと彼女を見る。

「まあそうですね。でもチーフとふたりきりで飲めるチャンスでしたし、がんばりましたよ」

うわ、臆面も無く言い切った。
私は彼のさらりと言った一言に、思わず拍手しそうになる。

彼女も目を見開いて彼を見ている。
むろん、彼は彼女の方を見ない。絶対見ない。
顔を真っ赤にしているように見えるが、暗くてよく見えない。

「キミがそんなこと言う子だとは思わなかったわぁ。あらあら」

彼女はわざとおばさん口調で答えているが、どう見ても動揺しているのが解る。

「はいはい。まったく酔っ払いはこれだから。ホント、チーフじゃなかったら置いていきましたよあそこに」

タクシーの後部ドアが開くのを確認すると、彼はため息とともに彼女をタクシーに放り込む。

「ご自宅の住所とか言えます?財布、忘れてません?それと――」

その瞬間だった。
タクシーの中に向かって話しかけていた彼が、タクシーの中から伸びてきた手によって引っ張り込まれたかと思うと、そのまま二人を乗せたタクシーは彼方に走り去っていった。

  ※

「――その時の二人が、羽山くんとあんただったわけ」

そう締めくくった花ちゃんの顔を、私はまともに見れなかった。
それどころかもう話の途中から恥ずかしくて恥ずかしくて、両手で顔を覆っていたのだ。

「どうやらその様子だと、思い出したみたいね」

しょうがないなあ、と続けた花ちゃんに、しかし私は返す言葉がない。


思い出したのだ。
あの時の酩酊してフワフワした感覚とか、羽山くんの心地良い声とか、ふと衝動的に感じた悪戯心とか、そういったものを。


そう。
ちょっとした思いつきだったのだ。

彼なら相性が良いかもしれない、という、
ほんのちょっとした思いつき。

それがまさか、こんなことになるなんて思いもしなかった。


「ま、結果オーライみたいだし、良いんじゃない?これで」

花ちゃんの声に顔を上げると、彼女は既にレシートを手に立ち上がっていた。

「先に精算しておくからさ、そのデレデレした顔、早く元に戻しなさいよ」

もう昼休み終わっちゃうからさ、と笑って立ち去る花ちゃんに、私はありがとうとだけ投げかけた。

(つづく)

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