私的国語辞典_表紙絵2

私的国語辞典~二文字言葉とその例文~ セレクション29『帯(おび)』



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セレクション29『帯(おび)』


※註 今回の話は、以下の作品から影響を受けています。そのため、類似した箇所が有りましたら、この場にてお詫び申し上げます。
『遺留捜査』(テレビ朝日) 
『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』(フジテレビ) 
『記憶』(MISIA)


事件が解決した、と警察から電話があったその日、その刑事さんが私の家にひょこっとやってきた。

「あの……すみません、事件が解決したならもう」
「すみません、三分お時間もらえますか?」

刑事さんがにこにこと微笑みながら私に指を三つ立ててそう尋ねてきたので、別に三分くらいなら構わないか、と私はそのまま家の中へと案内する。
刑事さんはすみません、と、しかし本当にすまないとは思っていない口調で言うと、愛嬌のある顔で微笑みながらリビングに入り込み、テーブルに平たい布をそっと置いた。 

昔は純白だったのだろう、ところどころすり切れてボロボロになった布は何かを包んでいるのか、何か別の模様が透けて見える。

「これは?」 
私の問いに、彼は微笑みを崩さないまま、 
「お母さんの遺品です」 
と答える。 

母の遺品。 
10年前に突然姿を消した、私を捨てた母の。 

「な、なんで?!何故今頃になってそんな……!」 
高ぶる感情を抑え切れず、叫ぶように吐き捨てた私に、しかし彼は静かな眼差しを向けている。 
「高梨さんがお持ちだったんですよ。お亡くなりになるまで、ずっと抱きしめて」 

高梨さん……確か、今回の被害者の方だった女性だ。 
「高梨さん……と言う方が、母の遺品を?」 
私の問いに、彼はゆっくりと布をめくり始める。 
「犯人の供述によると、高梨さんは殴る蹴るの暴行を受けながらも、これだけはやめてくれと叫び続け、そのまま息を引き取ったそうです。 
何故このようなものをそんなに大事に抱えていたのか、僕はそこが気になって仕方なくて」 
彼は呟くように話しながら布を優しく開いていく。 
「そこで、彼女の過去を調べてみたところ、5年前まである施設に勤めていたことが分かりまして」 
「施設……?」 
私がおうむ返しすると、彼は手を止めて私を見上げた。 

「ええ。末期のガン患者の為の施設です」 

末期ガン? 
まさか……。 

「まさか、そこに母が……」 
私の掠れた声が聞こえたのか、彼はにっこりと笑って答えた。 
「はい。8年前まで」 

一瞬、私の視界が真っ暗になった。 
この刑事さんが言っている事が理解できない。 

二の句が継げない私を悲しげな目で見た彼は、再び視線を落とし布に触れる。 
「高梨さんは退職前、しきりに周囲の仲間にこう言っていたそうです。 
『私には約束があるの。例え命に代えても、守らなきゃいけない約束が』 
と」 
布は二重になっていたらしく、彼は二枚目を静かにめくり始める。 
「高梨さんは9年前に、仕事の苦しみから自殺しようとしたんだそうです。それを、ガンで蝕まれた身体を引きずって止めたのが、あなたのお母さんでした」 

お母さん。 

自分よりもまず他人の心配をするお母さん。 

間違いない、私のお母さんだ。 

「あなたのお母さんは、自分の死が近いことを知り、誰にも言わずにその施設に入ったんだそうです。私が死ぬ事で、誰も悲しんで欲しくないから、と」 
彼の言葉が、ゆっくりと私の胸に入り込んでくる。 
私の知ってる母が、そこにいた。 
「高梨さんは言っていたそうです。 
『あの人は最期に、娘の成人の晴れ着を見れないから残念だと薄く笑っていたの。だから私、あの人に、あの人が持っていたこれを、成人した娘さんに絶対渡すから、って約束したんだ』 
って」 

ふと気がつくと、布は既にめくられていて、中から古い着物のが現れていた。 

「これ……」 

私は知ってる。 
これは、母のだ。 

「助けられない人達を見送る事に疲れていた高梨さんを、あなたのお母さんは優しく抱きしめて言ったそうです。『貴女が居なかったら、私は娘に貴女と同じ思いをさせていただろうし、私はそれに耐え切れなかっただろう。貴女は私と娘の恩人だ』と」 

を見詰める私の視界が、じわりとぼやけ始めた。 

お母さん。 
「……父が」 
「はい」 
「父が生前、私に、『お前は幸福になれ』と言い続けていました」 

お母さんの話をすると、いつも悲しげな笑みを浮かべていた父。 

お母さんが居なくなっても捜そうとせず、かと言って籍も抜かなかった父。 

「父は、知っていたのかも知れません。知っていてなお、 
……それでも、母の願いを叶えたかったのかも知れません」 

私の途切れとぎれの独白を、彼は静かに聞いている。その彼の優しさに、私の中の何かが一気に溢れ出してくる。 

「お母さん……!」 

優しかったお母さん。 
お母さんを一途に愛し続けた父。 

「私は……私……は」 

なんて幸せな娘だったのだろう。 
何も知らず、ただ生きているであろう母を憎み、ふがいない父を憎んでいた、幸せな娘。 

「……の間に、あなたへの伝言が挟まれてました。どうぞ」 

伝言? 
私は顔を上げ、彼の差し出した紙切れを受け取った。 

「……!」 

その紙には、ミミズの這ったような字で、たった一言だけ書かれていた。 

『良子ちゃんへ。私の大切な宝物です』と。 

(1662文字) 

『帯(おーび)』
 《身に帯びるものの意》
  1 和服を着るとき、腰の辺りに巻いて結ぶ細長い布。「―を結ぶ」「―を緩める」
  2 岩田帯。また、それを巻くこと。
  3 1に似た形のもの。帯紙の類。
  4 「帯番組」の略。
  5 太刀。「二つなき宝にめで給ふ―あり」〈読・雨月・蛇性の婬〉

(大辞林より引用)

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