私的国語辞典_表紙絵2

私的国語辞典~二文字言葉とその例文~ セレクション27『乙(おつ)』



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セレクション27『乙(おつ)』


                                                                                                                                       

仕事が珍しく早く終わった夜。
普段なら帰宅してすぐに夕食、となるはずだったのだが、今夜は少し違っていた。
帰宅後背中を押されるように風呂へと促され、しぶしぶ風呂に入って出てくるとそこにはしばらく着ていなかった浴衣が置かれていて。
さらには、その浴衣を着てやって来たダイニングに、なぜか食卓には何の料理も乗っていなかったのである。

「美佳子、晩飯は?」

仕事疲れでむくむくと沸き上がるいらだちを抑えつつ、なるたけ優しい口調で問い掛けると、

「康雄さん、こっちに来てもらえます?」

何故か美佳子の返事がベランダから聞こえてきた。
私は訳が分からないままカーテンの隙間から顔だけ出してベランダを覗いて――
――そして、その光景に声を失った。

マンションの4階。
どこにでもあるありふれたそのベランダの向こうに、あり得ないほどの星々が瞬いていたからだ。

「……天の川、か」

私のつぶやきに、キャンプ用のテーブルの上に料理を並べている浴衣姿の美佳子が空いている手を竹製のベンチに向ける。

「ね?こういうのもなものでしょ?今夜は七夕だし」

そう言って柔らかく笑った美佳子の背後を、一筋の星が流れ落ちる。
その光景はまるで、一枚の絵画のように思えた。

「……そうか、七夕だったか。すっかり忘れていたよ」

私は自嘲気味の笑みを浮かべながらベンチに座り、美佳子の差し出した缶ビールを受け取った。

『乙(おーつ)』
 [名]1 十干の第二。きのと。
  2 甲を第一位としたときの第二位。「甲―をつけがたい」
  3 物事を図式的に説明するときなどに、甲・丙などとともに、ものの名の代わりに用いる語。「甲―丙の三人」「甲―の距離」
  4 邦楽で、甲(かん)より一段低い音(おん)。⇔甲(かん)。
 [形動]
  1 《4の低音の意から》普通と違って、なかなかおもしろい味わいのあるさま。味(あじ)。「―な事を言う」
  2 普通とは違って変なさま。妙。「―にすます」
   「始めて出勤した時は―な感じがした」〈二葉亭・浮雲〉
   [アクセント]はオツ、はオツ。

(大辞林より引用)

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