見出し画像

「戦争画論争」から見えるもの③真摯に反論する藤田嗣治~戦争画よ!教室でよみがえれ⑯

戦時中に描かれた日本の「戦争画」はその出自のため未だに「のけ者」扱いされ、その価値を語ることを憚られている。ならば、歴史教育の場から私が語ろうではないか。じつは「戦争画」は〝戦争〟を学ぶための教材の宝庫なのである。これは教室から「戦争画」をよみがえらせる取り組みである。
 目次
(1)戦争画とは何か?
(2)わたしが戦争画を語るわけ
(3)戦争画の鑑賞法
(4)戦争画を使った「戦争」の授業案
(5)「戦争画論争」から見えるもの
(6)戦争画による「戦争」の教材研究
(7)藤田嗣治とレオナール・フジタ

(5)「戦争画論争」から見えるもの③ー真摯に反論する藤田嗣治

 前回紹介したの宮田重雄への藤田嗣治の反論を見てみよう。

作戦記録画を描く藤田

 <藤田嗣治「画家の良心」(1945年10月25日付)>

 藤田はこの記事で、まず宮田の誤りを指摘している。

 宮田の言う「進駐軍に日本美術を紹介する」という会の絵を「斡旋」する画家に藤田・猪熊・鶴田の名前があるという話は「全然事実に相違」しているという根本的な誤りの指摘である(この話は「無責任なジャーナリズムの誤報」だった)。

 しかも、この誤りを宮田自身が認めていて「謝罪の手紙」が来たことも記事に書いている。つまり、宮田自身も失策で3名の画家の名誉を毀損したことを認めているのである(当然、宮田は猛省して、事実の誤りと3名への名誉毀損を朝日新聞紙上で謝罪すべきだが、新聞紙上での謝罪はないようである)。

 しかし、藤田はこれだけでは承知できない。それはそうだろう。あれだけ濡れ衣を着せられ、新聞紙上で罵られたのだから。

 藤田は、宮田が指摘する「ファシズムに便乗した」「戦争犯罪者」「うまい汁を吸った」等については「同君の邪推は全然的はずれである」として以下のように反論している。

①画家は「真の自由愛好者」であり「軍国主義者であろうはずは断じてない」

 ―宮田は「軍国主義者」という言葉は使っていない。だが、藤田はこの言葉を使って「ファシズムに便乗した」「戦争犯罪者」という忌まわしいレッテルを一括りにして強く否定しているのである。

②国民はすべて「戦争完遂に協力」したのであって画家も同じく「国民的義務を遂行したに過ぎない」

 ―戦地で戦う兵隊さん、開戦を大々的に報じた新聞社の記者、兵器を作った工場の労働者、学校の教師、主婦・・・これらはすべて戦争に勝つために協力したのであって、なぜ画家のみが責任を問われなければならないだろうか?それならば「一億国民」はすべて「節操」がなく「謹慎」すべきだと主張しなければつじつまが合わない。そもそも自分の国が存亡をかけ外国と戦っているのだから、それに協力するのは当たり前である(第1次世界大戦以降、戦争は「総力戦」の時代になっている)。

 宗教学の石川明人氏は銃・大砲・ミサイルなどのいわゆる「武器」だけでなく、無線機・腕時計・方位磁石、はては帽子・ボールペン等の日用品、音楽・映画・ポスター、数学や幾何学などの学問、医療や看護全般まで「結局すべてが武器になるとしか言いようがない」としてこう言っている。

「戦争という「悪」はそうした物(いわゆる「武器」のこと 引用者注)を用いてこそなされるものだと思っているから、それらに触れないでいる限り自分は「平和」の側の人間でいられると信じ、気軽に戦争を非難したり、軍備に反対したりする」(石川明人『すべてが武器になる 文化としての<戦争>と<軍事>』創元社p218)

 論争の仕掛人である宮田重雄は戦争画は「武器」だと考えているようだが、その宮田は医療に携わる医師で軍医でもあった。ということは彼も自分自身の告発から逃げることはできないということになる。

③画家たちは「多くの犠牲を払わされた」。猪熊氏はじめ友人たちは「今日もなお健康を害している」し、材料も「得難き資材をこのために惜しまなかった」

 ―つまり「甘い汁」など吸っていないときっぱりと反論している。

 以上のように、藤田は宮田の「誤れる批判」「用語の劣悪さと、卑俗さ」を鋭く批判している。

 最後に藤田は重要な指摘をして反論をまとめている。

 藤田はまず、画家をあえて二つに分けている。「戦争中国家への純粋な愛情をもって仕事を成した画家」とそれ以外の画家である。次に氏はこの二つの画家を合わせて「すべての画家」を主語にして次のように言う。

*まず「心から謙譲と良心とをもってその敗因を正視し、反省」すること。
*次に「軍官によってなされた世界観とその指導との誤れる今日までの国家の方針を一蹴」すること。
*そして「世界平和と真の美への探求を研め、精一杯の勉強をなさねばならぬ」。

 まずは今回の戦争の「敗因」を分析すべきだと言っていることに注目しなければならない。ここの文章を、あの戦争は間違いだったと反省している、と読むのは誤読である。それは現在の日本人の平和ボケの価値観に過ぎない。どんなことでも勝負事で負けたからには徹底的にこれを分析して次に生かすのは世界の常識である。

 日本は負けた。負けた以上はこれまでの「軍官」の「世界観」「指導」によってなされた「国家の方針」をまずは「一蹴」しなければならない、すべてを捨てて再起すべきだと言っているのだ。〝御一新〟である。

 そして最後はこれからの自分たち画家のあり方に言及し、「世界平和」と「真の美への探求」を提起している。

 藤田の反論は宮田の難癖に対して一つ一つ反論し、身の潔白を論じるだけでなく、戦後の日本人のあり方を大きなスケールで語っている。事実誤認で人のアラを探し、汚い言葉で罵倒する宮田は藤田の足下にも及ばない。

 このようにこの藤田論文で宮田の「論」は完全に論破されている。この事実を明確にしておこう。ちなみに、現在においてもこの論争に対する美術界の批評等は非常に感傷的であり、丁寧に文章を分析した形跡が見られない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?