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「戦争画論争」から見えるもの②「戦争画家フジタ」を印象づけた宮田重雄~戦争画よ!教室でよみがえれ⑮

 戦時中に描かれた日本の「戦争画」はその出自のため未だに「のけ者」扱いされ、その価値を語ることを憚られている。ならば、歴史教育の場から私が語ろうではないか。じつは「戦争画」は〝戦争〟を学ぶための教材の宝庫なのである。これは教室から「戦争画」をよみがえらせる取り組みである。
 目次
(1)戦争画とは何か?
(2)わたしが戦争画を語るわけ
(3)戦争画の鑑賞法
(4)戦争画を使った「戦争」の授業案
(5)「戦争画論争」から見えるもの
(6)戦争画による「戦争」の教材研究
(7)藤田嗣治とレオナール・フジタ

(5)「戦争画論争」から見えるもの②ー「戦争画家フジタ」を印象づけた宮田重雄

 では、さっそく終戦直後に朝日新聞紙上で行われた美術家間の論争を見てみよう(なお、この論争は朝日新聞だけでなく、一部は雑誌『美術』誌上でも続いだがここでは新聞記事のみ取り上げる)。

 これは宮田重雄、藤田嗣治、鶴田吾郎、松本竣介の四氏による戦争と戦後の画家のあり方についての論争である。ここでは便宜的にこれを「戦争画論争」と名付けることにする。以下、紙上に発表された順番に各氏の記事を考察してみたい。どれも新聞記事なのでそれほど長文ではない。

 <宮田重雄「画家の節操」(1945年10月14日付)> 
 
 この論争の発端となった宮田重雄は医師であり梅原龍三郎に師事した画家でもある。戦後はラジオや映画にも出演してそれなりに有名だったらしい。

宮田重雄

 宮田の記事の要旨は2つのまとめられる。

①戦争画を描いた画家は戦中と戦後の行動に一貫性がなく節操がない。
②ゆえに戦争画を描いた画家は謹慎すべきである。

 いわゆる「戦争責任」を当時の画家たちに向けて突きつけようした文章である。以下、詳しく見てみよう。

<①について>
 まず宮田は冒頭に「新聞の報ずるところによると」として進駐軍に日本美術を紹介する会の開催があることを述べている。彼は、この会の作品を選ぶ画家の名前を見て「唖然」としたという。そこで上げている個人名は藤田嗣治、猪熊弦一郎、鶴田吾郎の三氏だ。

 宮田によれば「これ等」の人たちは以下のような問題点があると言う。

*陸軍美術協会を「牛耳」って「戦争中ファシズムに便乗し通した人」たちである。
*「戦争犯罪者」とまでは言わないが、それに近い存在だ(「まさか戦争犯罪者も美術家までは及ぶまいが」という表現を使っているが、これは微妙に断定を避けながらも悪意のある表現だと思う)。
*戦争画を描かなかった画家を「非国民呼ばわりした」(「非国民呼ばわりした者は誰たちであったか」と書いている。これもわざと対象をあいまいにしてそれとなく上記三名であるかのようなニュアンスを残すズルイ表現)。
*軍部におべっかを使って「うまい汁を吸った茶坊主画家」だ(おべっかは「阿諛」という言葉を使っている)。

 宮田はこうした問題点をもっていた「これ等」の画家は「舞台が一変すると」―つまり戦争が終わると、これまでのことはなかったことにして「幕開きにとび出してくる」という。その一貫性のなさ、変わり身の早さは「娼婦的行動」(こういう表現は差別的で現在では使えないでしょう)で「美術家自体の面汚しだ」とまで罵倒する。

<②について>
 ①のような過去をもつ三氏のような画家たちは「作家的良心」があるならば「謹慎すべき」である、というのが宮田の結論である。タイトルにある「節操あるべし」というわけだ。

 さらに美術批評家への批判もしている。展覧会の陳列作品を「厳選」するという美術批評家協会に対しても「節操」がないとして「浮川竹のつとめの身」なのか?と疑問を投げかけている(ちなみに「浮川竹」とは水に浸っている竹が川の水の増減で浮き沈みする不安定な境遇のたとえ。遊女の身の上を言い表すときによく使うらしい)。 

 以上が宮田の「物言い」である。

 氏が言いたいことは、戦争画を描いた美術家たちはファシズムに便乗し、うまい汁を吸い、平和主義者を「非国民」呼ばわりした悪い奴だということに尽きる。さらに「戦争責任」があるので反省しろ、というのである。
 
 美術雑誌の編集長を歴任した富田芳和氏はこの論争を以下のように総括している。

「宮田は、「フジタは戦争画を正当化する画家」という印象を大衆に印象づけることに成功した。だが、「戦争画家フジタ」のキャンペーンはそれ以上広がることも深まることもなかった。ただ、マスコミは、フジタというキャラクターは、今なおきわめて面白いニュースネタであると、しっかり胸に畳み込むことを忘れていない」(富田芳和『なぜ日本はフジタを捨てたのか? 藤田嗣治とフランク・シャーマン1945~1949』p86)

 現在に到るまで連綿と続く戦争画とそれを描いた画家たちへの罵詈雑言、冷たい仕打ち、いつまでも経っても「責任を取れ」と叫ぶ空虚な批評・・・これらはすべてこの宮田論文から始まっている

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