小学校教育の存亡がかかる教科担任制は必須・小さな教育情報
文科省が小学校の教科担任制を打ち出して約2ヶ月が立ちました(上の記事は「総合教育技術」2021年10・11月号の記事です)。
私はこれに大賛成です。国を上げてこの制度を現場に導入するのを心待ちにしていました。
理由はシンプルです。
もう担任一人ですべてをやるのは限界にきています。
国語、算数、理科、社会、体育、道徳、英語、学活、総合…場合によっては音楽、図工、家庭。加えてプログラミング教育、異文化理解教育、福祉教育、人権教育、情報教育、食教育、安全教育 さらにはこころの教育…。
これらを一定のレベルから落とさずに毎日授業するのは至難の業です。不可能です。
しかし、私が教科担任制に賛成なのはこうした教科の観点からだけではありません。
やや大仰かもしれませんが、小学校教育の存亡がかかっていると思っています。
私は退職前の10年間、担任を降りて児童指導専門のポジションになりました。
そこで感じたのはもう担任一人ですべてを背負う時代は終わったということです。
前述の教科指導のみならず、一段と難しくなった子どもへの対応、要望が多様化した保護者への対応、日々起こるトラブルへの対応など勉強を教えること以外の問題が山積しています。
さらに厄介なことに、今はこれらのポイントで失敗が許されなくなってしまいました。対応に手間取るとそこに時間が取られて一気に多忙感が上昇します。授業は常に後回しということになります。
そしていわゆる学級崩壊です。プレ崩壊も含めれば危険な状態にない学校は皆無でしょう。
最悪は担任のリタイアです。今は人手不足で簡単に代役は見つかりません。見つかっても大抵はどシロウトです。崩れたクラスを立て直せるスーパーサブなど夢のまた夢です。
もう一つ付け加えるならば、これは教師の力量不足などではありません。一人では対応不能なのです。
一人で背負う時代は終わりました。複数のチーム対応が必須の時代になったんです。それぞれの個性と得意分野と経験を生かすことが小学校教育を存続させるポイントです。
教科担任制の導入はその重要なポイントを全国の学校と教師に打ち込むことができます。
もし「私はどんなに難しいクラスも、難しい子どもも何とかしてきた」という先生がいたら、私はこう言います。「あなたは運がよかっただけですよ」と。
あなたが経験した以上にもっと指導の難しい子どもやもっと難しいクラスが存在するのです。そして、そこで日々奮闘し心身ともにヘトヘトになっている先生がいるのです。
ここに思いを馳せることのできない学校関係者はダメだ、と私は思っています。
メディアや研究者にはわからない、見えていない観点です。
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