<茫漠たる手前勝手なCD名盤ご紹介>#15
ニコレッタ・ラーソン 1978年デヴューアルバム『Nicolette』
ウエストコーストサウンド好き、特に女性Vo系リンダ・ロンシュタットやカーラ・ボノフ、ヴァレリー・カーターあたりをお好きな方にとっては、今さら感丸出しのご紹介になるが、78年鳴り物入りでリリースされた本作はやはり避けては通れない。
*邦題は「愛しのニコレット」笑。ジャケットも秀逸。今となっては古臭いポーズとも思えるが、当時はこの屈託なさが良かった。
1970年代後期、西海岸のレコードレーベルは絶好調で、良質なミュージシャンを発掘し、次々とヒットアルバムやシングルを出し続けていた。
特に「エレクトラ」「アサイラム」レーベルを傘下に持つワーナーは、イーグルスやリンダ・ロンシュタットを擁していて資金力も豊富で、優秀なスタッフプロデューサーも抱えていた。
ニコレッタはデヴュー数年前から西海岸で活動を始めておりコンサートの前座やコーラスの仕事をするうち、エミルー・ハリスに声をかけられ、やがてリンダ・ロンシュタットを紹介され彼女の家で居候までするようになった。恋多き女性ヴォーカルはお互い引きあうのか笑。
そしてリンダにニール・ヤングを紹介され付き合うようになる。
ニコレッタはニール初め何人かのシンガーソングライターのアルバムにコーラスで参加するようになり、当然のごとくレコード会社の目に留まり、プチ争奪戦の後、やはりワーナーの手の内に落ちたという次第、
とはいえ幸運にもクレバーなプロデューサー、テッド・テンプルマン(ドゥービーブラザースのPとしても有名)がこのデヴューアルバムを手掛ける事になった。
サウンドの要にビル・ペインを起用し、テッドの人脈が数多く集まり、楽曲やサウンドに通好みの仕掛けがいくつも施されている。
ただウエストコーストの妹分的存在で周囲から愛されたニコレッタの人格で、豪華なメンバーが自ら参集したと言っても過言ではないだろう。
シングルカットされ全米8位まで登ったアルバム一曲目の”Lotta Love”は、ニール・ヤングの楽曲で、ニコレッタがニールのデモテープを彼の車の中で見つけたという話は、真偽はさておきいかにもなエピソード。
*当時の最良のアレンジ。邦題は「溢れる愛」だったが、このタイトルは外したかも笑。
デモの”Lotta Love”を聴いて「わ、この曲、私が唄う!」って感じでシングルヒットになったなんて、当時の関係性が垣間見えて微笑ましい。もちろんニールもその後自作で発表している。
*こちらはニール・ヤングのヴァージョン。名曲だがテキトーな感じがいい笑。なんと後年、あのレッチリもカヴァーしている・・。
そして4曲目”Can't Get Away From You”はチャンキーことローレン・ウッドの作品。当時の歌姫たちが必ず一曲はやっていた軽快なロックンロールでアルバムにポップな輝きを与えている。
*こういうポップロック物はウエストコーストに必須。
この曲のリフとギターソロはクレジットでは「?」となっているが、テッド・テンプルマンが同年にデヴューさせたエディ・ヴァン・ヘイレンその人なのである。特にソロはエドワードらしさというか、なんとなく若さと拙さが随所に出てきて、ニヤリとさせる名演となっている。
その他、カントリーバラードやR&Bの名曲サム・クック”You Send Me”などを取り上げ、テッドのプロデュースの腕前も冴えており、もちろん捨て曲など一切ない名トラックが集まった「愛しのニコレット」は、当時日本でもそこそこのヒットとなった。
翌1979年にこちらも名盤と名高い『In The Nick Of Time』を出し、マイケル・マクドナルドとのデュエット”Let Me Go, Love”が評判になるが、ヒットシーンでの話題はここまで。
*邦題は「愛の季節」ん?。ジャケはちょっと大人っぽくなった・・。
その後、何枚かのアルバムを出すが不発に終わり、カントリー畑で活動し、名ドラマー、ラス・カンケルと結婚。娘の誕生とともにほぼ引退。そして残念なことに1997年12月16日脳浮腫の為に病死。R.I.P
そんなニコレッタの最も輝いた時期を見事に切り取った本デヴューアルバムは、カントリー~ウエストコースト女性ヴォーカル物のファン必携の傑作の一枚である。
若くして亡くなった、ウエストコーストの歌姫、ニコレッタ・ラーソンのご冥福を祈ります。
19回目の命日を祈念して・・。
この稿おわり。
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