勉強記録:8日目(アリストテレス)


こんばんは、むつみです😊

本日は8日目です。
新しい週に入りましたね!
もう12月も6日経ちました。早い…。
なんだか悶々と過ごしていたらあっという間に過ぎていました。もったいない…。


今日は、倫理に戻りまして、
アリストテレス〜ユダヤ教まで読みました。

宗教については明日書くことにして、
今日はアリストテレスを中心に書きますね。

アリストテレスは、東西に大帝国を築いた
アレクサンドロス大王の家庭教師をしたこともある人です。

プラトンは、本質は外にあって、我々が見ているのは虚像。でも本質を追い求めずにはいられないんだ、というような考えの人。(ざっくりですが)

それに対して、アリストテレスは
本質はそれぞれの内にある、という考え方をしています。

存在するものにはすべて4つの原因があり(四因説)、その中で最も大切なのが目的因。

例えば、
お皿は何のために存在するのかというと?

モノを盛り付けるためにある。
=これが目的因。これがお皿の本質。

この、この本質は何だろうと捉えていくこと
(直観すること)が幸福だ、と唱えます。


そのほか、どうして世界は運動しているのか?
(運動→物体が時間の経過とともにその位置を変えること、物事の状態が時とともに変わっていくこと(コトバンクより))

人間の在り方、社会の在り方などを
アリストテレスは論じていますが、
その中でも私が印象に残るのは「中庸」。

アリストテレスは、人間の徳(最も優れた能力を発揮した状態)は2つあると言っています。

①知性的徳
…思慮や知恵をつけることにより実現
②習性的徳
…知性的徳を用いることで成り立つ中庸

これら2つです。
②は、①を日常生活の中で実践し、ちょうどいい状態になった時(中庸)が、最も優れた能力を発揮した状態だと言っています。

例えば、
恐怖も行きすぎると臆病になって何もできませんが、無さすぎると裸で冬の海に飛び込むみたいな無謀ことをしかねません。
この両方を思慮をもって避けると、勇気という中庸な状態になる。

だから、自分でうまく調節するって感じですかね。

いまは、中庸というかほどほどって大事よね
と思えるのですが、
昔は全然思えなくて、白黒ハッキリしろよ❗️って
感じでした。笑

ちょっと違うかもしれませんが、
曖昧さ、というかゆとり、遊びの部分を
残すことは余裕に繋がりますよね。
結果自分を助けることになることも多い。

だけど、昔は全然思えなかったので、
「ということらしいよ」っていう感じで
さっぱり終えた記憶があります。

中庸って難しいから、
これを実現できた状態が、最も能力を発揮できている時っていうのも頷けます。

ギリシャ時代から、変わらないですね。笑

今日はここまで。
お付き合いいただき、ありがとうございます🌱

引用、参考:
『畠山のスッキリわかる倫理、政治・経済
完成講義』(畠山創、代々木ライブラリー)
(今までの倫理についての投稿は、全てこちらを参考にしています。)

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