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映画『12ヶ月のカイ』成長記録|2021/05/24

 最近、ありがたいことにお知らせが渋滞しています。日々ネタを探しながら書いているnoteですが、こうして無事に1ヶ月まずは続けられたのも、何かしらで吉報が続いているお陰かなと思います。今後も良い知らせが続くことを祈って。

Master of myself と『12ヶ月のカイ』

 マスターオブマイセルフ、と聞いて何のことか頭に浮かびますか?

 私も、最近まで聞き覚えなかったのですが、NewsPicksで連載している『Rethink』という番組の中で出てきた言葉で、非常に印象的かつ『12ヶ月のカイ』にも通ずるものがあるなと思ったので今日は書き残しておきます。

 日本人は代々、親分を探して親分に従って生きてきたという話がこの中にあり、しかし今現在の激動の時代・型のない時代には「自分が自分の親分になる」ということが大事になるよね、という話。

 大抵の日本人は偉い人から言われたことに従順な民族で、人の言うことを聞かない外れ値のような人は決して多くない。けれど大多数の人は、従順な状態で幸福なのかと言われると、首を縦に振る人もほとんどいない。体と心がちぐはぐの人々。

 ただ、その状態で社会が上手く回るのは高度経済成長の時代までで、それ以降日本が成長していない原因がこの「親分を探す・従う」民族性に一因あるのではないか。…というのがこの番組の中で語られていたことです。ほんの一部ですが。

ヒューマノイドの親分は本当に人間なのか?

 このマスターオブマイセルフという言葉を聞いた時、人間のことを表す言葉だとは勿論察知しましたが、同時に『12ヶ月のカイ』に登場するパーソナル・ケア・ヒューマノイド、通称PCHにも同じようなことが連想できるなと発見しました。

 人工知能やヒューマノイドを作るのは確かに人間だけれど、だからといってそれは人間が「親分」になるということなのか?

 作られたもの、生み出されたものが独自に行動や思考(計算処理)することが可能になった場合、そこに真に必要なのは「人間」ではないのではないか。

 物語の中でも、ヒューマノイドのカイははじめ持ち主であるキョウカのことを積極的に学び、パーソナル・ケアに励みます。しかし、時間が経つにつれ、カイは自我を持ったかのような行動を少しずつ起こしていきます。この変化が、「機械的な機械」と「機械的なヒューマノイド」の差異だと私は当初考えていたのですが、もしかするとこの特異点が、マスターオブマイセルフを得るために必要なボーダーラインだったのかもしれません。

 機械も時に人間の言うことを聞かなくなることがある。その時もしかすると、彼らの中にマスターオブマイセルフが生まれているのかもしれない、と想像すると、たかが機械といえど何故かとてつもなく神秘的な、神がかった何かを感じられるようになりませんか?

 …ならない…?笑

 まあまだ『12ヶ月のカイ』がしっかり世に出ていない段階なので、これを読んでもピンとくるのは私しかいないと思いますが。いつか、作品が公開された後にこの文章を見て「そうかもしれない」と思ってくださる方がひとりでもおられたら幸いです。

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