見出し画像

ヒューマノイドと環境に関する雑記|21/06/28

ヒューマノイドはサステナブルじゃない説

最近、IT関連企業に対して評価が下がる出来事が欧米で頻出しています。コロナ禍で対面のミーティングが減り、人間にとっては移動のお金がかからず、こっち(オンライン)の方がエコじゃん?と思われがちですが、どうやらそうでは無いようです。一体何が原因なんでしょう?

日本でも最近はSDGsやサステナブル、脱炭素という言葉をよく耳にするようになりましたよね。色々と新しいワードが増えてきていますが、「AIが地球に優しくない」という話題自体はさして新しい話ではありません。

要するに、文字や画像の処理だけでなく高度な計算処理をスピーディーにこなすマシンは、それ相応のエネルギーを大量消費し、結果として二酸化炭素もふんだんに排出してしまう、ということ。Netflixで30分ストリーミングすることは、ガソリン車を約6キロ走らせるに匹敵するエネルギー消費・CO2排出だとする研究も2019年に出ています。

このあたりの現実を目の当たりにすると、現存する高度なAIよりもさらに膨大な計算処理を必要とするヒューマノイドは、たとえ人間にとって需要の高い製品だったとしても、果たして本当に社会的に存在し得るものなのか、少々疑問が湧いてきますね…。今のGoogleやビットコインのように、将来ヒューマノイドを生産する会社が、その環境負荷の高さ故に企業価値を問われる未来は容易に想像がつきます。最悪、良い製品を発表しても長く世に定着せずに一時の流行りで廃れてしまうことも…?

人間との共存の次に、地球との共存という問題が…

そもそもまだ、『12ヶ月のカイ』に登場するようなヒューマノイドは世に出ていませんが、もし実現したとしたら、「商品としてどのように人々の生活に流布されるか」という問題の次に「どのように継続的に使用していくか」という問題が出てきます。ボディはリサイクル可能か?膨大なデータはどこで保管されるのか?またその維持にかかるエネルギーはどうするのか?

単にヒューマノイドを生み出す、ということ以上に、その後の問題は山積みです。

人間自身が未だ地球との共存という課題をクリア出来ていない今、人間が生み出す人類の亜種について、それらを完成させる前にある程度制度設計をしておくことが、案外重要になるような気がしています。ただそこには、少数の人間だけでは決められない、複雑な倫理や価値観が絡んでいるため、ヒューマノイド開発よりも先にそちらが整うことはなかなか厳しいだろうとも思いますが…。(車や飛行機の開発中に「捨てること」までは考えられていなかったように)

作る前から捨てることを考える時代になった今だからこそ

ものづくりの世界において、昔と今で大きく違うなと肌で感じるのは、ものを生産する前・買う前に「捨てる時のこと」を考える習慣が出来てきた、ということ。服はリサイクルされることを前提に作ったり、また買う側もいらなくなったときのアクションから逆算して買う人(ブランドを選ぶ人)が少しずつ増えてきました。マイボトルを使うのだって、ペットボトルを「捨てる」というアクションを避けるために選んだ行動です。

そういった「ただ作る」だけでは終わらない今の時代だからこそ考えられる、現在の価値観にフィットしたヒューマノイドなんかが出てきたら、本当に面白いですよね。

未来はどうなることやら、まだまだ見守りたいです。

最後までお読み頂きありがとうございました! 「スキ」押して応援頂けたら嬉しいです🤘