悪徳とともに

 やはり人と関わるのは面倒だなぁと思う。

 合う合わないという以前に、きっと私の性格には致命的に大半の人と相容れない部分があるのだと思う。
 私は私が間違っているとは思わないけれど、まぁでも仕方がない。それぞれ考えたうえでの選択の結果なら、受け入れるしかない。

 私はいつもいつでも他者のことを信用していないし、共感なんてものもも、しょせんは一種のまやかしに過ぎないものだと思っている。私は他者に対して冷めているし、乾いている。そして、そういう関係を好ましく思う人間は滅多にいない。

 うーん。冷めていて、乾いているだけならそれほど問題ではなかったのかもしれない。私は……多分正直過ぎるのだと思う。あと、加害欲求だな。私は、自分が気に入った人間を傷つけたがる性格だから、まぁ、ほとんどの人にとっては私という人間は負担でしかないと思う。邪魔な存在だし、近くに来てほしくない存在だと思う。

 ハリネズミみたいな人、というのはどこにでもいる。私はどっちかっていうと、笑顔で近づいて唐突にコートからナイフを取り出して突き刺すような人間だ。しかも、笑ったまま。何の悪気もなく。「それの何がいけないんですか?」というような表情で。

 相手が傷ついていることを想像して、それを楽しんでいる節がある。もちろん、私だって傷ついている。でも、そうであるべきだと思っているのだ。傷つかないと分からないこともある。傷つかないと進めないこともある。私は残酷な人間だし、その残酷さを失うくらいなら、そもそも人と関わることをやめたいと思うような人間なのだ。

 私は「幸せのみを望む人」とはどうやっても相容れない。「苦しさや悲しさから逃げようとする人」とは共には歩けない。
 私、実は分かってる。私は傷つきすぎた人間なのだ。傷つきすぎたから、傷つかないで生きることをつまらないと思うようになってしまった人間なのだ。
 人間として越えてはいけない一線を越えてしまっている、と感じている。誰もが想像するような一線ではなくて、精神的な……ひとつの「普通の人間」としての境界線を、私はずっと前に越えてしまっていたのだなぁと思う。

 だからある意味では、私はその境界線の内側にいる人とは、長期的には付き合えないのだ。時々顔を合わせる分には互いに興味深いからそれなりに楽しく過ごせるけれど、時間が経てば経つほど正体不明の気分の悪さを感じ始める。まぁ純粋に、呼吸している場所が違うのだ。考えている内容が違いすぎるのだ。

 人はすぐに勘違いする。人はすぐに的外れな妄想をして、勝手に苦しんで、勝手に悩んで、勝手に逃げ出す。実は私、分かってる。
 人は自分が考えていることや感じていることのほとんどを知らない。知らないままでいいと思っている。
 知らなくても、それが人の行動を決めている。心が人の行動を決めている。

 私もそうだ。だから、私は心が知りたいんだ。なぜかは分からないけれど、自分の心を知れば知るほど、他人の心も見えるようになる。きっと心の形は……それほど決定的に異なっていないのだと思う。ただそれを、どう扱うかというところに決定的な違いがあるだけで。
 人は皆呼吸をして、心臓を拍動させて、食べて、寝て、起きて、例外なくそうやって過ごしているのだから、心もきっと……同じように、大まかな部分は共通しているのだと思う。

 私には悪意がある。憎しみもあるし、怒りもある。それは「悪」という名前はついているけれど、実のところ悪いものではない。それは自分に向けられた場合、気分の悪いものではあるが、他に向けられる場合は、別にどうというものではないのだ。
 人間の感情は、意志は、信念は、常に一方通行であり、異なっていていいものだ。それが常に同様であり、均質なものであってはならない。その先にある未来は吐き気がするほど退屈。そんな平和な世界は実のところ、誰も望んではいない。望んでいるフリはできるし、望んでいるつもりになることもできると思う。でも心は、無意識的な感情は、そんなもの望んでいない。人は、悲惨さや苦しみを避ける生き物ではあるけれど、決して平和を求める生き物ではない。
 平和の中には、平和だからこその悲惨さや苦しみがある。それを知ってもまだ、平和を求めるべきだと思えるだろうか? 結局人は争いが好きだから、スポーツやゲームに興じるのではないか? 求めるべきは、争いのない世界ではなく、美しい争いだけがある世界だ。価値のある、信念に基づいた、一度きりの争い。

 悪意、憎しみ、嫉妬。
 私は自分の中のそういう感情を追放して生きようとしてきた。でも、そんなのは無駄な試みだったし、くだらないことだった。つまらないことだった。私は悪意と憎しみと嫉妬に満ちた人生を歩むことを肯定するし、それは好意、愛情、尊敬に満ちた人生を否定するものでもない。
 私は自分に生まれつき備わった全ての美徳だけでなく、全ての悪徳も抱えたまま生きていこうと思う。それが自分自身に由来するものなら、なんでも自分のものとして大切にしていようと思う。私はそのように生きたいと思ったから、そのようにしか生きられない。

 いらないものは、勝手に体から零れ落ちていく。私はそれをわざわざ拾い集めたりはしない。私にふさわしくないものを、わざわざ私の体に張り付けたりしない。

 人生は、暗く、明るい。私はその両方を知っている。
 私はその中間に立って生きているのではなく、その両方を持って生きているのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?