苦しみたくないけど

 人の心も体も、苦しみっていうのはできるだけ避けようとするよね。
 逆に気持ちよさや楽しさっていうのはできるだけ追い求めようとする。

 このふたつって実は互いに独立しててさ、楽しいけど苦しい、とか楽しくないし苦しくもない、ってこともあると思うんだよね。
 あと、苦しいけどやらないといけないってこともあれば、楽しいけどやってはいけないってこともあると思う。

 まぁ何にしろね、人は総合的に判断して行動してるんだよ。無意識化で。でも精神(意識)っていうのはさ、自分のことを誤解しがちでさ、心の奥底では「別にやらなくてもいい」と思ってるのに、他の人がそう言うからって理由で「やんなくちゃ!」って思って、自分の体と心に過剰に負荷をかけたりするんだよね。んで、それを肯定するために「苦しいことは全て意味があることだ」とかって言っちゃったりする。まぁ意味っていうのが何なのかにもよるけどね。

 でもやっぱり世の中には意味のない苦しみってのがあると思うんだよね。意味のない楽しみと同じくらい。
 だからといって、意味のある苦しみや意味のある楽しみがないというわけではないからさ。まぁ意味なんて、私には分かんないんだけどね。たださ、もうすでにそこにある苦しみは、自分の苦しみだからさ。そのあとに避けるにしても、求めるにしても、今ある分だけは肯定したいよね。「この苦しみは、ここにあるべくしてあるのだ」って思ってたいよね。

 あと、今の自分にはないけれど、過去の自分にはあった傷跡、みたいな苦しみのことも、肯定していたいよね。今の自分がそれを避けるとしても、過去の自分がそれを感じたという事実からは、目を背けたくないよね。そうであるしかなかったんだって思っていたいよね。自分の歩いてきた道がどれだけ汚れてても、今の自分が綺麗なら、その汚れた道すらも、そうであるべきだったんだって思っていいと思うんだ。まぁ無理に思う必要はないけど、そう思ってた方が、ちょっとかっこいいじゃん。

 あ、そうだ。本題とは全然関係ないんだけど、人の行動動機って馬鹿みたいでさ、よくよく「なんでそんなことをするんだろう」って考えてみると「その方がかっこいいから」って思ってることすごく多いんだよね。私自身も、他の人も。
 別の言い方をすればそれって「その方が美しいから」ってことでもあるんだよね。人に優しくするのもそうだし、他の人の意見を真剣に聞くのもそう。よく考えてから言葉を話すのもそう。
 「みっともないのは嫌だから」っていう言い方をするとちょっと感じ悪いからさ、「かっこいい自分でいたいから」って思っていたいよね。実際人間浅ましいものでさ、自分のことをできる限りよく見せたいんだよ。
 他の人にもそう見てもらいたいし、自分自身からもそう見えていたい。自分自身が恥じない自分でいたい。もうひとり目の前に自分と同じ精神構造をしている人間がいたら「この人はすごく素敵な人だ」と思わずにいられないような自分でいたい。
 
 まぁそういうことでさ、人って、たとえ苦しくても、かっこよさのために頑張ったりするんだよ。私それって、すごくいいことだと思う。かっこいい自分でいたいから、苦しいことや悲しいことにもまっすぐ立ったまま耐えて、誰もいないところで泣くんだけど、泣いている自分のことを情けないと思うんじゃなくて、しっかり自分と向き合って、泣くことができて、しかもその泣いたという事実を自分自身として受け入れていられる自分をかっこいいと思って、そういう風に生きられることって、すごくいいと思う。

 苦しみを避けてばっかりじゃ、かっこよくは生きられないよね。

 幸せよりかっこよさ優先で!
(ふと思ったけど、何をもって「かっこいい」というかで、その人の精神の成熟度が分かるんじゃないかなぁって思う。私の思う「かっこよさ」って、冷静に見てみると、若いなぁって感じ。きっと将来変わっていくことでしょう! それもまたよし!)

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