私は必ず報われる

 私は決めない。何も決めない。私は私の道を歩くだけ。周りの人間の言うことは、もう聞かない。世間の常識にも、時代の流れにも、ついていかない。ついていけない。

 私は希望を持っている。
 でも私は楽観主義者じゃない。全てがうまくいくだなんて、どれだけそう思おうとしたって、無理だ。人生は、苦痛や憎しみと切っても切れない関係にある。でもそれは、悪いことではないんだ。

 苦痛にも、憎しみにも、未来がある。まずは、それを祝うべきだろう。

 私たちは生きているから、苦しむことができる。憎むができる。死後の世界とか、輪廻転生とか、クソクラエだ。そんなことを考えるから、苦しむことや憎むことを否定したくなるのだ。

 生きていないとできないことがたくさんあるから、私たちはそれに価値を置くことができる。

 自分が死んでも、世界が残る。私以外の人間の中の「自分」は生き残っていく。繋がっていく。私はそれを、必然と呼ぶ。それを喜ばしいことだと思っている。

 私は必ず報われる。私の全ての苦しみや憎しみが、いつか「そうであるべきだった」に変わるときが来る。

 どのような経緯でそうなるのかは分からない。分かるべきでもない。でも全てには、意味があるのだ。意味を、与えるのだ。私には、自分の体験したことに、積極的に意味を与える才能がある。

 私は必ず報われる。努力や葛藤だけでなく、怠惰も独断までもが「そうであるべきだった」に変わるときが来る。

 人生には、誤りがたくさんある。恥ずかしいことがたくさんある。消してしまいたいことが、次から次へと生れてしまう。今はまだそれを肯定できないけれど……いつか、それが全て肯定できる日が来る。ううん。肯定できない過去は、全て忘れ去ることができるようになる!
 私の人生から全ての無駄が消え去って、意味のある部分だけで凝縮された「純粋な私」がいつか、私の目に映るときがくる。

 私は必ず報われる。私の人生には価値がある。私の人生には意味がある。そうでなくてはならないのだ。そうでなくては……そうだ。そうでなくては、私は生きていたくないのだ。
 私は、生きていたい。だから、私は報われるべきなのだ。
 だから、私は必ず報われなくてはならないのだ。

 「たとえ報われなくても生きる意味はある」だなんて嘘を、私は信じることができない。
 希望のない人生に意味はない。だから、私は希望を手に入れるために飛び降りたのだ。
 私は、私の人生を希望している。それ以外は何もいらない。そうだ。それこそが、私の報いなのだ。
 私は必ず報われる。

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