友達でいたかっただけ【ショートショート】


 清水さんのことを夢に見た。

 僕はあの人のことが苦手だった。妙に距離が近いし、色んな男にすぐ「好き好き」言うところも、なんか不潔な感じがして嫌だった。
 そのくせ男の方が迫ってきたらすぐ逃げて、自分から下ネタを振る癖に、相手からそういうことを言われると普通にドン引きする、そういう自分勝手さに恐ろしさも感じていた。

 その清水さんが、ある日僕に変な絡み方をしてきた。いや、元々あの人は誰に対しても変な絡み方をする人だから、別にその日はたまたま僕であっただけなのだが。
「○○さんって、すごくいい声してるよね」
 僕はなんだか、どうすればいいのか分からなかったので「え、そう? あぁ、ありがとうございます。お褒めいただき光栄です」なんて、適当に言葉を返した。
「めっちゃ落ち着く声。寝る前とかずっと聞いてたい」
 みんなの前でそんなことを言う神経が信じられなかった。皆もどこか複雑な表情で見ている。しかも清水さんはそれで、ポケットの携帯に手にとって、連絡先を交換したがるようなサインまで見せている。
 僕はなんだか不気味なものを感じた。

 僕にとって清水さんは、明るくてヘンテコな女の子だった。高くて甘ったるい声はあまり好きじゃなかったけど、容姿はまぁまぁ好みだったし、冷静に考えればまんざらでもないはずなのに、その時は妙な生理的嫌悪を感じたのだ。
 だから僕はおどけて、周りの人間を順番に見ながら。
「ねぇこれどう返せばいいのかな?」
 一瞬、清水さんが焦ったのが分かった。僕はその時点で「しまったな」と思うと同時に、小さな優越を感じた。そうだ。今この場の主導権は僕にある。いつも場を支配している清水さんに対して、僕は優位に立っている。そう感じたのだ。
「いやでもほんとお世辞とかじゃなくて、○○さんの声私めっちゃ好きだよ?」
 正直、聞き苦しかった。一体何がしたかったのか分からなかったし、身の危険も感じた。僕自身の中に、小さな意地悪な気持ちが湧いてきたのも分かった。
「ごめん、僕今までそんなこと言われたことなかったから……それに、現実的に寝る前に会話するにしても、僕は不眠症気味だからそういうのは嫌だ」
 明らかにまずいことを言ったな、と思った。と同時に、これが僕の本音だと思った。本音を真っすぐ言えて、嬉しいと思った。
「え、なんで私振られたみたいになってんの? やば……」
 身から出た錆。周り人たちは、どこかいたたまれないような表情をしている。いやでもこれは、僕に非はないはずだ。僕は元々この人のノリが好きじゃなかったし、先に不愉快にさせられたのは僕の方だ。
 この人が、僕を見誤ったのが問題なのであって、僕自身のコミュニケーション能力に問題があるわけじゃない。
「ま、それはそれとして」
 悪くなりかけた空気を他の人がうまく別の話題で逸らしてくれたから、僕も清水さんもそれに乗っかって切り抜けることにした。
 いずれにしろ僕とあの人は気まずい関係になった。それでよかったと思った。そもそもあの人と喋るのは疲れるから……

「あぁ○○さん! 会いたかった!」
 それから清水さんは、大学構内で会うたびにそんなことを言うようになった。そのくせ体の距離は遠いままだし、そそくさとどこかに行ってしまう。意味が分からないし……そうやって気を惹こうとしているなら、それはまずい考えだと思った。子供染みているし、余計僕を苛立たせるだけだ。
 というか、そもそも僕を苛立たせることが目的なのだろうか? そして苛立たせること自体が……無関心でいられるよりもマシだからということ?
 いやそもそも、自分のプライドを傷つけられたことが悔しくて、僕につまらない嫌がらせをしているのだろうか? 男性という生き物が、こういう行動に弱いということを知っているから。
 なおさら僕を舐めすぎている。
 僕はこれでもそこそこ女性からモテてきたタイプの人間だ。自分から女性に向かっていく必要がないくらいに、女性の方からアプローチされてきた人間だ。それくらいのことで、感情を動かされることはない。
 ……というのはまぁ、強がりなんだろうな。僕は元々感じやすいたちだし、そういうことをされると普通に気になってしまうのも事実だ。厄介な手合いだと思う。生活にも、負担が増える。
 怒りとか、苛立ちとか、抑えなくちゃいけない感情も増えるし。まぁでもそれは元々多いし、慣れてるから平気だ。
「あぁどうも」
 素っ気ない態度を保とうと思った。どうせこの人もそのうち飽きる。最悪適当に女友達にでも頼んで彼女のふりをしてもらえばいい。そうすれば、あの人も周りの評判を考えて控えるようになるだろう。

 ある日、清水さんがよくかかわっている人たちと偶然食堂であって一緒に食べていると、彼女の話になった。
「清水さんっていつもふざけてるけど、実はすごく頭いいんだよね」
 なんかわざとらしかった。
「な、親切だし、意外と真面目だし」
「歌とか結構うまいし、実は結構有名なインフルエンサーだし」
「らしいね。リアルとはちゃんと区別してるからあんまりその話すると怒るけど」
 なぜあんなことがあったのを知っていて、僕の前でそんな話をするのか理解できなかった。一体何のつもりだと尋ねたくなったが、やめることにした。嫌な予感がしたからだ。
 単純にその話に飽きたからか、それとも僕の反応が悪かったからか、彼らはすぐに話題を変えた。
 人間関係はやっぱり苦手だと思った。

「○○さんだ!」
「あぁどうも」
「うわー声聞けてめっちゃ嬉しい? 調子どうですか?」
「まぁまぁだよ。君は?」
「わ、わ、私はまぁ、普通ですかね。それじゃ」
 相変わらず清水さんは変な絡み方をして、不自然に去っていく。どこからどこまで演技なのか分からないし、やっぱりどこか気持ちが悪かった。
 でもそれと同時に何というか、よくよく考えてみると彼女には一度も悪意はなかったのかもなぁと思うようになった。つまりただ不器用で不安定なだけで……そう、彼女が、彼女自身のことしか考えていないから、僕に対する配慮の仕方が分からない。そういうことだったのではないかと思うようになった。

 あの時僕が「そんなことを言われたのは初めてだ」と言ったのを聞いて、僕が全然女性に免疫がないものだと勘違いして、馬鹿にしようとしたと考えるのも不自然ではない。でも僕が他の女友達と普通に喋っているのはちゃんと見ているはずだ。恋愛の話もセックスの話も、別に苦手というわけじゃない。人並みだ。童貞ではあるが、別にだからと言ってそれを気にしているわけでもないし……
「こじらせてんな、お前」
 前に経験人数を自慢してきた気持ち悪い知人に言われたことを思い出した。
「こじらせてるのはお互い様でしょ?」と僕は答えた。あいつは「確かにそうだ」と答えた。
 こじらせ、か。バカバカしい。僕は元々こういう性格でやってきたし、性格を曲げてまでこの時代の「男っぽさ」を演じるつもりもない。

 性や恋愛なんてのは、人生のスパイスに過ぎない。あったらあったでいいが、なくたって構わないものだ。僕自身の好みに応じて、拒否したり受け入れたりするだけでいい。
 そう考えると、胸はすっと軽くなる。ひとりきりになって風を浴びると、連中から浴びた不潔な泥が流れ落ちていくような感覚になる。僕は清潔でありたい。本当は、もっと清潔な人とだけ付き合っていたい。
 清水さん、あの人はちょっと不潔だ。それだけは、確かだ。もしあの人が処女であったとしても、だ。他の男がその肉体に触れたことがあるかどうかなんていうのはどうでもいいことで、それとは別に、彼女は純粋に精神が汚いのだ。僕自身の、勘がそう言っている。


 それから、ひと月ほど会ってなくて、ほとんど忘れかけていた。

 夢の中で、僕たちは二人きり、こじゃれたカフェでおしゃべりしていた。話は盛り上がっていて、とても楽しかった。
 僕は急に用事を思い出して、何も言わず席を立った。あとで悪いことをしたなと思って連絡を入れようと思ったが、そもそも連絡先を交換していないことを思い出して、カフェに戻ることにした。
 カフェに清水さんはいなかった。彼女がいそうな場所を探し回ったけれど、どこにもいなかった。

 これじゃ謝れないなと思った。
 あんなに楽しく会話ができたのだから、僕らは友達としてもっと仲良くなれたのに。


 目が覚めた。そして僕は自分の苛立ちの原因に気がついた。

 僕はあの人と、友達でいたかっただけだったのだ。

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