もっと自分を大切にしないといけない

 自分用の文章と他者に見せる文章を分けようとして見た結果、私は他者に見せる文章というものがそもそも書けないことを理解した。

 今まで私が書いてきた文章のほぼすべては、自分用の、独りよがりな文章であったというわけだ。誰かに教えてあげよう、とか、共感してほしい、とか、面白いから見てほしい、とか、そういう感情があったと思っていたけれど、それはもうほとんど一時的な表面でしかなくて、根っこの部分では私はずっと、自分自身に向けてしか書いていなかったのだ。

 自分が理解しやすいようにしか、私には書けないということに気づいた。素晴らしいことだ。

 私はこれを、素晴らしいことだと捉える。だってそうじゃないか。他人の目を「気にすることができない」ということなのだから、それは「正直」という徳であり、「確固とした自分を持っている」という証拠でもある。
 私は「他人に流されることができない」人間なのだ。あぁなんて素晴らしい! 私はきっと、他者からはとても魅力的な人物に見えることだろう。背筋は伸びていて、表情は明るく、小さなことで大げさに反応をしては、びっくりするくらい冷たく物事を考える。
 私は私が好きだ。不安定なのに芯がしっかりしてて、ふざけるのが好きなのに他者に対して誠実。約束は全部守りたいから、そもそも約束はできる限りしないようにする。そういうたぐいの人間。

 私は私に対して、誠実な約束をしているのだ。自分を見失わないこと。自分を愛し続けること。私は、私と婚約している。一生、運命を共にするのだと契りを交わしている。そうだ。本来は、全ての人間がそうなのだ。全ての人間が、人生をかけて己自身と付き合わなくてはならないのだ。
 だってそうじゃないか。誰もが「自分」からは逃れられない。他者と関わっている間だけは、「自分」がいないことにできるかもしれないけれど、でもやっぱり、人は本質的にひとりきりであり、その孤独の中で呼吸している。
 自分が死んだときに死ぬのは自分ひとりである。どんな大切にしている人だとしても、その人が死んで死ぬのはその人だけである。
 私たちは、もっと自分を大切にしないといけない。

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