馬鹿にされることについての対話

朝木海の場合

「で、結局海ちゃんはどういう人がタイプなん?」
「自分より頭が良くて、自分より面白い人」
「太っててもいいの?」
「少しくらいなら。病気にならないくらいなら。その気になれば痩せられるくらいなら」
「顔は?」
「かっこよければいいけど、まぁ不快にならないくらいなら、それでいいかな」
「恋に何を求めてるの?」
「んー。安心感と楽しさかなぁ」
「セックスは?」
「雰囲気じゃない? それは普通に、順番でいいと思う」
「なんか、海ちゃんって意外と普通なんだね」
「うん」

「普通のやつに普通って言われると、なんか腹立つ」
「海ちゃんそういうところあるよね」
「別に自分が特別扱いされてないと気が済まないってわけじゃない。でもさ、周りの人間に流されてそういう意見を持ってるんじゃなくて、自分なりに考えてそういう答えを出してるのに、それを『普通』の一言で済ませられてしまうことが、なんか我慢ならない」
「でも我慢してるじゃん」
「我慢するしかないじゃん」
「そうだね」
「私、ただでさえみんなに嫉妬されてるもん。あの子ら、その機会があれば必ず私のこと馬鹿にしようとしてくる。私に対して、劣等感を感じてるくせに、上に立とうとする。上から目線で何かを言おうとする。私には経験が欠けてるけど、彼女らに馬鹿にされたくないという理由で経験を積んだところで、また別の部分を見つけて私を馬鹿にしてくると思う」
「まぁ、そういうもんでしょ。若い間は。そういうことをしてこない子もいると思うけど」
「いるというか、普通はしてこないよ。普通、それぞれ自分のことで精一杯だから、私のことなんて気にしてる暇ないよ。でもそういう子たちと私は、あんまり接点がない。私自身が、暇で、騒ぐのが好きな人間だから、噂話が好きな人間だから、人の話を聞くのが好きな人間だから、どうしてもそういう『外向きの目』を持った人と友達になることが多いんだ」
「『外向きの目』っていう表現いいね。外向的って言うより、正しい気がする。それは『外にエネルギーを使ってる』っていうことじゃなくて『内側を見る能力が欠けている』っていうことだからね。それは意思に基づいた選択じゃなくて、その人の能力の傾向だからね」
「まぁそんなことはどうでもいいんだよ」
「あ、はい」
「××もさ、そういう風に思うことある? 見下そうとしてきてるな、みたいな」
「んー。私はそもそもなんていうか、人と自分を同じ場所に置いてないから、なんていうか、気にならないかな。時々相手の心の中に入ってみても、相手が困惑してることしかわからないというか。あれだね『なんだこいつ?』って思われることばっかりで、嫉妬されることも少ないし、尊敬されることも少ない」
「私は××のこと尊敬してるよ。嫉妬もしてる」
「どういうところ?」
「そういうところ」
「なるほどね」
「それに、××は私のことを少しも羨んでいない」
「だって海ちゃんしんどそうだもん」
「ねぇ××。私に何か、アドバイスとかない? どうしたら、私はもっと……楽しく生きられると思う?」
「楽しく生きようとするのをやめた方が、楽しく生きられるよ」
「どうしてそう思うの?」
「楽しいだけの人生って、くだらないから」
「……正論って、時々めっちゃ痛いわ」
「私には海ちゃんがこの先どのように生きていくのか想像もつかないよ。というか、私が想像できる海ちゃんの未来は、全部……海ちゃんにとってあまり喜ばしい未来じゃない気がする。つまり、つまらない未来というわけだね。私という人間がつまらないせいかもしれないけど」
「××のことをつまらないって思ったことはないよ」
「私はしょっちゅう思うよ。私はなんてつまらなくてくだらない人間なんだろうって。でもそう思えるからこそ、自分じゃないものに目を向けられる。私はさ『内側の目』が大きすぎるんだよ。だから『外側の目』が欲しい。海ちゃんは、それを持ってる」
「……まぁそうだね。どちらかと言えば、そうかもね」
「だから言葉を交わすんだ。私、海ちゃんの話を聞くの、好きだよ。楽しいからじゃなくて、気持ちいいからじゃなくて、自分の世界が広がるのを感じるから」
「それはお互い様だね」


佐川裕彦の場合

「なんでお前、童貞なのに断ったん? あの子結構かわいかったじゃん。好きな人でもいるん?」
「いや別に」
「何? 愛がなきゃダメとか、そんなこと思ってんの?」
「別に。ただ、何というか、お互い傷つくだけで終わるの分かってんだから、付き合う理由がないじゃん」
「でもセックスできるじゃん」
「なんか汚いよ、そういうの」
「毎日オナニーしてるくせに?」
「ひとりでする分には、何も傷つかない。まぁ多少のプライドは傷つくけど、好きでもない女とするよりはマシだ」
「セックスの方がオナニーより空しくないぞ」
「俺はお前みたいに空しさから逃げ出す理由がないんだ」
「かーっ! ガキだなお前。まぁ、お前もいつか分かるよ」
「余計なお世話だよ」
「セックスしたくなったら言えよ。適当な女紹介してやるから。お前はキモい童貞だけど、一応友達だからな」
「キモいのはお前の方だろ」

「ねぇ、ため息なんてついてどうしたの?」
「汚い連中というのは、どこにでもいる。関わりたくないが……関わらずに済ませられるほど俺の生きてる世界は広くない」
「嫌なことがあったの?」
「あぁ。童貞であることを馬鹿にされた」
「あー……」
「正直、そんなことはどうでもいいんだ。俺が童貞であるかなんて、他の人間からしても、俺からしても、どうでもいい。そいつはただ俺に対して優位に立ちたかっただけで、俺はそいつから馬鹿にされて腹が立っただけ。分かっていても……」
「図星だったから?」
「図星……まぁそうかもな」
「でも、何が図星だったの?」
「何が図星だったんだろうな。俺には分からん。ひとつ言えることは、あぁいう奴が世にのさばっているという事実だ。気分が悪すぎて、どうしようもない」
「殺してしまえないの?」
「殺す? 君は何を言ってるんだ」
「物語の中なら、不潔な連中を一掃しても罪に問われない」
「それも現実逃避の一形式に過ぎないじゃないか。女の体に溺れるのと大差ない」
「どうしてあなたは現実逃避を嫌うの? それも人間の、現実の営みの一部なのに」
「現実逃避にも、貴賤がある。品がないと分かっていることを変わらず続けること。それを隠さないこと。それは下品だ。俺にはプライドがある」
「へぇ。変わった考え方をするんだね」
「君はどうなんだ」
「どうでもいいかな。余計なことは考えず、目の前のやるべきことだけに集中する。そうしておけば、気持ち悪い人たちの声は聞こえなくなるから」
「それは現実逃避じゃ……」
「ん? でも私は現実において、仕事をしてる。現実って、行動でしょ? 気分の悪い現実より、気分のいい現実を見た方がいいでしょ? 私はそうしてるだけ。現実から逃げてるんじゃなくて、現実を選んでるだけ。自分が呼吸しやすい道を歩いているだけ。君はどうして、自分が嫌いな人間と付き合ってるの?」
「俺は……」
「君は逃げることができないんじゃない? 逃げる勇気がないから……」
「逃げたら、俺はきっと誰からも必要とされなくなる」
「君は現実から逃げてないかもしれないけど、自分自身からは逃げてるんだね」
「……なるほど」
「これは図星?」
「少なくとも、あいつに言われたことよりは」
「私は、君のこと、嫌いじゃないよ。多分その人、君に嫉妬していたんだ。君が、自分より優れていると無意識的に感じ取ったから、攻撃しようとしただけ。人はさ、自分より劣った人間を嗤ったり叩いたりして傷つけようとする生き物だけどさ、的外れな忠告や、意味のない協力は、自分より優れた人間を貶めるために行うんだよ。自分より弱い人間に、そんなことをする必要はないからね。自分の力じゃ、相手を屈服させることができないから、そういう手段に出るんだよ」
「それは、君が今言っていることも、そういうことなのではないか?」
「んー……どうだろうね。私は君に友情を抱いているつもりだったけど、それは私の私自身に対する嘘かもしれない。もしかしたら、私も君に嫉妬しているのかもしれない。君はどう思う?」
「君は、楽しんでいる。それだけは確かだ」
「私は、悩み多き青年の悩みに触れるのが好きなんだ。私は、人間の心に興味がある。君の感じていることは、別に特別じゃない。誰しも、そういう部分を持っている。でもほとんどの人は、それを『こじらせ』とか『青春』とかってごまかしたようなレッテルを貼って自分の心を守ってるけど、君は違う。自分の感覚に全幅の信頼を置いている。君は不快に思っている。そして、それを自分自身のせいにしていない。かといって、人のせいにもしていない。君はただ現実を見据えている。そういう人は、とても希少。私は、君のような人が苦しんでいるのを見るのが好きなんだ。もがいて、足掻いて、その先で、君が君自身の未来を掴むところを私は見たい!」
「なるほど。君は俺に幸せになることは望んでいないんだな」
「そんなのはつまらないでしょ?」
「君と一緒にいると、俺は自分の頭がおかしいわけじゃないと気づくよ。人は自分よりはるかにおかしい人間を見ると、自分のことをまともだと感じて、安心する。君はそこに元気よく存在するだけで、他の人間の心を軽くするのかもしれない」
「こいつよりはマシだな、ってこと?」
「そう」
「それは幸せなことだね。私自身は、人生に困ってない。私は私の人生を楽しんでいる。そして他の人たちも、私を見て安心する。これぞ素晴らしき多様的共生社会といえるのではないかな?」
「俺は君には同意できないよ」
「同意は求めてないからね」

「でも俺は、時々君が羨ましくなるんだ。あらゆるしがらみから逃れ、自分の仕事をやっている。自分の心の赴くままに生きることができている。俺には無理だ」
「役割分担だよ、青年。君には君のやるべきことがある。それが君を待ってる。確実に」
「だが現実社会は、俺に『周りと同じように生きろ』と強要する。俺は……」
「君は、そのように『生きられない』よ。大事なのは『できない』ということだよ。『できない』が君の道を照らすんだ。君が避けた先に、君の地獄とは違う道の先に、君にふさわしい運命が待っている。そう。君が、君に恋をした女の子を、自信を持って拒み、今私と楽しく話しているように、私たちは、世界と体に導かれている」
「君の言葉は独りよがりなのに、不思議と響く。困惑する」
「私を誰だと思ってるの?」
「そういえば、それが仕事だったな、君の」

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