静かに
静かに生きて行こう、と思った。疲れてしまったし……そもそも私はなんでこんなにたくさんの言葉を吐き出してしまうのだろう。
私にとって、誰かと話すよりも、ただ独り言を言う方が楽だから……あぁ結局、私には何にもないのだなぁと、何となく、認めてしまった。認めてしまった? 認めたというより、決めつけたという方が正しい気もする。
努力とか、勉強とか、もう疲れた。全部やめにして、静かに生きていこうと思った。目立たず、大人しく、分相応に、何も考えず、生きていこうと思った。奪われるものなんて私には何もないし。奪いたいものも何もないし。何もせずに生きていきたい。
疲れた。
生きる意味とか、価値が云々とか、未来がどうとか、過去がどうとか、歴史がどうとか、もう全部どうでもよくなった。心を震わせるとか、美しさがーとか、品性がーとか、もう全部くだらないと思うようになった。そんなの全部、ただ自分を高く保ちたかったからじゃないか。ただ、自分が何とか頑張っていたかったから、そういうのを用意する必要があったんだろう?
めんどくさくなって、何もしないと決めたなら、もうそんなものも必要ない。私はもう私の人生を放棄する。私は結局ダメなやつだったから、もうめんどくさいので、ダメなやつとして生きていくことにする。
私、頑張ったよ。でも意味なんてなかったよ。疲れただけだった。何が欲しかったのかも分からないし、何から逃げたかったのかもよく分からないや。
綺麗であろうとするのも疲れた。人より優れていようとするのも疲れた。自分らしくあろうとするのも疲れた。現実じゃない何かに縋ろうとするのも疲れたし、現実の中にあるちょっとした希望に縋るのも疲れた。何もかもを放棄して、何も考えず、ただ息をしているだけ、みたいに、生きていきたい。ゆっくり休みたい。
死んでしまいたい。
もう疲れちゃった。疲れちゃったよ。何にもできないし、元気も出ないし、元気を出したいとも思えない。なんか、今日眠って、それで、もう二度と目が覚めなければいいのにって、本気でそう思ってる。もう疲れちゃった。
憂鬱ではないんだ。別に、後のことが怖いわけでもないし、悲観的になってるわけじゃない。っていうか、怖がるのも悲しむのも、大変だし、疲れるから、もういいやって思って。楽観的であることも、悲観的であることも、難しいことだから、今の私には、それすらも満足にできないから、もうどうでもいいって思って。
何もしないでいよう、って思って。
多分さ、私、今、病院に行こうって言われても「だるいからやだ」って言うと思うな。人の話、何にも聞きたくないし、話したいこともない。じゃあなんで文章なんて書いてるのかって? 馬鹿だなぁ。私はさ、私の頭はさ、止まってくれないんだよ。だから、書くことで、少しでもその力を緩めているんだ。じゃあなんでこんな場所にあげるんだって? 他の馬鹿たちと同じように、チラシの裏に書いてそのままゴミ箱に捨てればいいのに、どうしてそうしないのかなって?
さぁね。なんだかもうそれも、よく分からなくなっちゃった。何かに期待してるのかもしれないし、単なる習慣かもしれない。ほんとは誰かに構ってほしいのかもね。でもそれ、確かめるのめんどくさいから、もういいんだ。だるい。めんどい。考えるの、もういやだ。
私、もう考えたくないんだよ。自分自身のことなんて、もう考えたくないよ。疲れたよ。馬鹿ばっかりだ。自覚しろとかさ、内省しろとかさ、勉強しろとかさ、真剣に考えろとかさ、もう知らんよ。真面目にやれとかさ、目標を建てろとかさ、成功を求めろとかさ、もう知らんよ何も。疲れちゃったよ。なんで、馬鹿どもの言うことずっと真面目に聞いてたんだろう。知らんぷりしとけばよかったのに。
もうやだ。なんで、私の思考は止まってくれないんだろう。
なんで、思考を止めたいって、思えないんだろう。これ以上考えたくないと思うのに、考えるのをやめたいとは思えないの、なんでなんだろう。こうやって、書き続けているのはなんでなんだろう。なんで、疑問ばかり浮かんで、答えを出しても、疑問は消えないんだろう。答えを出すことを放棄したら、疑問の数が増えてしまうんだろう。
どうして生きる意味を考えれば考えるほど、生きることは難しくなってしまうのだろう。どうして人の話を真剣に聞けば聞くほどに、物分かりの悪い人間になってしまうのだろう。どうして真面目に生きれば生きるほどに、怠惰な自分が大きくなってきてしまうのだろう。どうして? どうしてなの? どうして私はこんな生き方しかできないの? 他の生き方を、どうして誰も教えてくれないの? もう疲れたよ。何もないところに行きたい。何も考えなくてもいいような場所に行きたい。
結局全部でたらめで、でも、そのでたらめは……あのさ、分からないんだよ。どうせ私は明日になったらケロリとしてる。というか、これを書き終えたら、ケロリとしてる。でも、今私が思っていることは、思っていることなんだ。もう、考えたくない。のに、考えようとしてる。
というか、文章を書く以外に、できることがないから、そうしてるんだろうね。何をやってもうまくいかないから、せめて、自分が一番やりやすいことをやっているだけなんだろうね。でも文章を書くって、なんなんだろうね。本当に、なんなんだろうね。
ほとんどの人は、書くことは大変だって言ってる。私だって、言われた通りに書くのは大変だと思うし、価値のある文章を書くのも、大変だと思う。価値が何なのかはよく分からないけれど。
どうして私はこんなに無意味なんだろう。無意味なことしかできないんだろう。どうして私は成長しないんだろう。というか、成長した先に今の私があるって、どういうことなんだろう。それが一番不思議。燃え尽きたわけでもなく、ただ急に、なんとなく、何もかもがめんどくさくなって、意志みたいなものが……なんだか、馬鹿馬鹿しいものに思えて、私って、しょせんはくだらない存在なんだと思って、動物みたいなものだと思って、なんかもう、なんだかもう、何もかもがどうでもよくなって。
黙ることができないんだ。黙ることができなくなってしまった。現実の私は、あまり口数の多い方ではないし、思ったことのほとんどは言わないけれど、でも文字の世界では、私は誰よりもおしゃべりで、何かを言っていないと気が済まない。ひどく、錯乱した精神。
現実の私は、まともに見える。いつも笑ってるわけではないけど、何かあるたびに微笑んで、どんな言葉にも、とりあえずは肯定から入る。うなずいて、首をひねって、相手が会話しやすいように、分かりやすくジェスチャーする。なんか、それが私なのか、それともここに書かれているのが私なのか……そもそも、その両者はまったくの別物なのか。どうでもいいじゃん、そんなの。
どうせ誰も気にしないし、私だって大して気にしてないんだ。私は私でしかない。文章の私は文章の私であり、現実の私は現実の私。でも、その現実の私は、なんで、その手を使って、わざわざこんなめんどくさい人格を作り上げて、めんどくさい私を演じて、めんどくさいめんどくさいめんどくさい! めんどくさい、こんな文章を書き続けるのだろう。文章を書くのだって、そんな楽なことじゃないでしょ? 考えることだって、そんな楽なことじゃないでしょ? 指を動かし続けるのだって、そんな簡単なことじゃないでしょ? それを楽しんでいるの? それとも、そうしなくてはいけないからそうしているの? そうしていないと、現実に押しつぶされてしまうから? どうしようもない、改善の余地のない、くだらない自分自身に追いつかれてしまうから? 追いつかれるも何も、とうの昔に受け入れていたはずなんだけどな。どうせ私はくだらない存在で、つまらない存在で、何もできず、何をしたいとも思えず、ただただ無意味に散っていく徒花。徒花、なんて気取った表現なんて使っちゃってもう。馬鹿みたい。
私知ってたよ。知ってたっていうか、ただそう思いたいだけなんだけど。私、馬鹿なんだ。多分、誰よりも馬鹿。勉強できるタイプの馬鹿。頭使うタイプの馬鹿。一番厄介で、めんどくさいタイプの馬鹿。中途半端にうまくいった経験があるから思いあがってて、努力すれば自分はなんだってできると思ってるけど、実際には人並み程度にもできないから、そのギャップに苦しんだ挙句、全部放り投げて「どうせ私は何もできないんだ」なんて極端なことを言うタイプの、馬鹿。
なんか、自分をそういう存在だと思うと、楽なんだよ。実際にどうかは分からないけれど、そう思っていると、すごく楽なんだ。自分のことを馬鹿だと思うと、賢くなる必要もないし、立派である必要もないし、善良である必要もないし、誰かに愛される必要もないから、何も頑張らなくていいし、思い上がりたいときは思い上がっていていいし、悪いことをしたいときは悪いことをしていいし、そういう風に思っていたいんだけど、思っていたいんだけどさ、なかなかそれが、難しいんだ。難しいんだよ。分からないんだよ。
自分のことを、単なる誇大妄想癖の馬鹿、拗らせた思春期の馬鹿だと思いたいのに、なぜかそう思えないんだよ。なんでなの? どうして私は、私のことを諦めることができないんだろう? いつもそうだ。私の心が折れるたびに、それを持ちなおそうとはたらく力がある。
自分を卑下するたびに、卑下する自分を嗤う自分がいる。「そんなこと思ってないくせに」と指摘する自分がいる。分かんないんだよ。だって、私誰かにそんなひどいこと言われたことなんてないし、だったらこの卑下は、どこから生まれてきたの? 私が、そう思いたいからなんじゃないの? じゃあそれを否定するのは、誰? 誰かが私のことを褒めたから? その声が、私をまだ支えようとしているの? それは呪いなんじゃないの? 私を高慢にしたいんじゃないの? 高慢にしとけば、うまく利用できるから、そうしたいんじゃないの? わかんないよ。わかりたくもないよ。疲れちゃったんだよ。
何を目標にすればいいんだろう。何を希望に生きればいいんだろう。何をやったって、うまくいく気がしないのに、何を頑張ればいいんだろう。欲しいものもないし、手に入りそうなものもないのに、私は何を求めているんだろう。
行き当たりばったりに書いてきて、書き尽くして、書くこともなくなって? なくなってないんだよなぁ……これだけ語っても、私は語り足りない。伝えたいことが何なのかも分からないのに、ただ勝手に手が動いて、意味のない文章が次から次へと生まれていく。全部無意味なものとして打ち捨てられるのに、それなのに、私はそれを書かずにいられない。何が私にそうさせるのか、私には分からない。でもそうしないと、気持ちが悪い。落ち着かない。何かを書いて、それを誰かが見るかもしれない場所に投げ捨て続けていないと、不安で仕方なくなってしまう。そこまで自分の心が、誰にも見えないという事実が怖いのだろうか。自分の気持ちが誰にも伝わらないということが、受け入れられないのだろうか。
自分がひとりぼっちでいることがいやなのだろうか。誰かに理解してほしいと思っているということなのだろうか。私は自分が何を欲しているのかよく分からない。ただ、やみくもに、私の体と心が望む行動をし続けているだけだし、多分この先もそれをし続ける。
本当の意味で疲れていたら、きっと文章なんて書けないのに、なぜ「疲れた」なんて、嘘を……嘘なのか嘘じゃないのかよく分からないその感情を吐き出すのだろう。きっとそれが感情だからなんだろうな。
疲れた、と思ったから、それをただ書いているだけなんだろうな。疲れ、ってなんだろう。
そういえば、冬が近づいてきたな。
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