未亡人【ショートショート】

 愛と哀しみは対になっている。
 愛が深くなれば深くなるほど、失ったときの哀も同様に深くなる。

 くだらない言葉遊びをして笑う。あれから三年経ったけど、休日は今でもまだ黒い服しか着たくない。何も、喪に服していると人に思われたくてというわけではなくて、ただその日の気分がいつも黒い服なのだ。

 暗く沈んでいたいけど、ほどほどに目立っていたい。誰とも話したくないけれど、無視されているのもつらい。ずっとそんな気分なのだ。

 朝は気が沈み、朝食を食べて少し元気が出て、仕事に出る。もし彼と出会ってなければ、私はずっとOLだったかもしれない。でも結婚してから、子供を作るつもりだったし「毎日君のつくるご飯を食べたい」と彼も言ってくれたから……あぁ、それを思い出しただけで、泣けてきそうになってしまう。でもいちいち泣いてたら疲れちゃうから、思考を冷静な方向に戻す。
 現実的な方向に、物事を考えよう。そうすれば、うんざりする代わりに、涙はこぼれないから。
 私は平日四日間、近所のスーパーで十時から六時までのフルタイムで働いている。一応これでも、アルバイトのリーダーをやっている。彼が……いや、ひとりきりで生活するようになってから、ずっと同じ場所で同じ仕事をしているから、慣れて、その狭い世界のことならほとんどなんでも知っている。
 だからなんだというわけではないのだけど。

 疲れて家に帰って、売れ残って安くなったお弁当を食べる。ひとりきりになってからは、めったに自分で夕食を作ることはなくなった。作る意味がないんだ。食べさせる相手がいないなら。

 友達は、私を心配して、時々会いに来てくれる。私は恵まれていると思うけど、毎度「新しい人を探せ」と言う意味の言葉を遠回りに伝えてくるのには、なんだかうんざりする。
 私はこの温度が好きなのだ。わざわざ明るく振舞うのも、別の男を探すのも、今更めんどくさいのだ。

 幸せは、もう十分なのだ。結婚してからの三か月間だけで、私は一生分の幸せを使い果たした。もう、それで終わり。あとは、後日談。悲劇の、後日談。

 薄型テレビもデスクトップパソコンもリサイクルショップに売った。彼との思い出の品は、全部引っ越した先の狭いアパートの押し入れの中にしまい込んだ。
 何もない毎日だ。退屈だけれど、その退屈をどうにかしたいとも思えない。ただ意味もなく、ブログを更新するのが今の趣味だ。
『未亡人の雑記』
 なんてありきたりなのだろう。エゴサしても、自分のは一番上に出てこない。似たような人の似たようなものがたくさん出てくる。
 
 ただただ陰気で、時々植物とか天気とかの話をするときだけ明るくなる。植物と太陽は裏切らないし。死んでも、また新しく出てくるし。なんて。

 その日は、どんよりした曇りの日だった。こんな日くらいなら、好きな服を着て外に出てもいいかな、と思った。黒のロングスカート。黒のパーカー。フードを被る。完全に不審者。今日くらい、不審者でもいいだろうと思って外に出た。

 休日の公園を横切った。子供たちはこんな日でも元気よく走り回って楽しげだ。自分にもあんな時代があったなぁと思うと、哀しくなった。
「うわ、あの人ディメンター!」
 そう子供のひとりが叫ぶと、何人かの子供たちは悲鳴か歓声かよく分からない声と笑い声を同時にあげた。
 私は、遅れて自分のことだと気づいた。ディメンター。ハリーポッターで出てきた、黒いやつ。映画も本も、ちゃんと見てたっけな。昔は、ちゃんと流行りものにもついていこうとしたっけな……あれ、でも、今の子たちってハリッポッターとか、知らないんじゃないのかな? あれってもう、ずいぶん昔に完結したような……
「ディメンターのおばさん?」
 恐れ知らずの子供が近づいてきた。
「どうして、そんな服着てるの? ほんとディメンターみたいだよ?」
「最近の子も、ハリーポッターとか読むの?」
「読む? ハリーポッターって映画でしょ? 前テレビでやってた。すごく面白くて、学校で流行った。エクスペクト・パトローナム!」
 私は、そのノリにどうついていけばいいのか分からなくて、困惑してしまった。その子は、私がつまらない大人であることに気づいたのか、あるいは言いたいことを言ってどうでもよくなったのか、元気よく背を向けて走り去って行った。

 ディメンター、か。喪に服す女は、子供にはみんなそういう風に見えるのかもしれない。私がかつてどれくらい幸せであったか、誰も想像しないし、分からないんだろうと思う。
 一瞬だけ「皆も私と同じようになればいいのに」と思ってしまったことに気づき、首を振った。そんな風に考えても、そうはならないし、不毛だ。

 でも、ずっと暗く沈んでいるのは、ちょっと飽きたな、と思った。そろそろ、何か始めてもいいころ合いであるような気もした。

 哀しみは哀しみだけど、それ以上に退屈が大きくなってきてしまったのだ。あと、遅れて……おばさん呼ばわりされたのもちょっと効いてきた。私、まだ二十七なのに。まだまだ若いし、先は長いのに。
 

 家に帰って、こんな服着ている場合じゃないな、と思った。明日は、別の服を着て、買い物に行くことにしよう。
 ずっと欲しいものがなくて、必要最低限のものしか買わなかったから、貯金は結構ある。彼が残してくれたお金もある。それを使って何かをするのも悪くないな、と思った。
 事業とか……意外と面白いかもしれないな、なんて。

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