人生あっという間だと言うが

 あまりに長い。私の感じている時間は明らかに他の人が感じている時間よりも長い。長すぎる……長すぎて頭が痛い。

 時間を感じる原因は運動であり反応である。つまり、変化である。多くの変化を短い時間の間に感じていると、人はその時間を長く感じる。
 好ましい変化が絶え間なく続くとき、人は「充実している」と感じる。逆に、好ましくない変化が絶え間なく続くとき、人は「地獄のようだ」と感じる。
 変化が全く、あるいは少ししか起きていないことに不快を感じていないと(つまり退屈を感じていないと)人は「あっという間に時間が過ぎた」と感じる。

 面白いものを見て「あっという間だった」と思うこともあれば「長かったが、素晴らしかった」と思うこともあるのは、その違いである。退屈したかどうかというのは、その単調さに不快を感じたかどうかであり、不快を感じない単調さは退屈ではないのである。

 逆に言えば、退屈への感度が高い人間は、どうしようもなく絶え間なく変化を追求し、自ら変化していく。

 考えるという作業自体がその人自身にとって変化である以上、考える人間の時間はそうじゃない人の時間よりはるかに長いのである。


 明らかに考えていることの総量が違う。人と接しているとたびたびそう思う。ある友達と一週間ぶりにあったとき、私はその一週間のうちにまるきり違う人間に変わったような感覚でいるのに、その子は一週間前と比べて、伸びていた爪を切ったくらいしか変化がなかったかのように見える。いや、もちろんその子はその子のペースで日々を生きているのだろうし、成長もしているのだと思う。ただその速度に差があるせいで、そのたびに孤独を感じてしまうのである。

 人生は、耐え抜くにはあまりに長い。だから、何とかその中で上手に楽しむすべを身につけないといけない。
 周りの人間より自分自身に多くの時間を与えられていると感じている、私に似た人に対しては、ただただ「楽しみ続けるべし」としか言いようがない。そうでない限り、私たちは死にたくなる。
 私たちはすぐ飽きてしまうから、立ち止まると人生に飽きてしまう。多くのものに触れ続け、変化し続けていないと死にたくなってしまう。
 退屈は、人を破滅に導く。私たちは退屈に対する感度が高すぎるのだ。

 私たちの人生は、他の人の人生よりもはるかに長い。それはある意味、他の人たちよりも長く強く退屈を感じ、あらゆることに不快を感じるがゆえである。


 私たちはそんな自分を受け入れて生きるしかないのだ。
 人生は長いぞ! 絶望的なほどに!

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