自意識過剰というけれど

 実のところ、私は他者の目を想定するとき、自分が他の人を見る時と同じようなものを想像している。

 私は他者の書いた文章を読むとき、出来る限り丁寧かつ批判的に読むので、もしその内容が下品であったり雑だったりすれば、それを感じ取り、言葉にはしないものの、はっきりと内的な評価を下す。

「誰もそんなにお前に興味ないよ」
 という人は多いが、私は私の目の届く範囲なら、ほとんどの人に興味を持つ。興味を持って、認識し、判断する。
「誰も私になんて興味ない」
 と思っている人間の行動や態度が優れていたことは、ほとんどない。自意識過剰なのも恥ずかしいが、自意識がないのはもっと恥ずかしいことだ。

 あまりに人の数が多い現代社会、実際誰か個人に焦点を当ててものを考える人はあまり多くない。
 「どうせ誰も見ていない」と考える人が多くなるのは自然だし、その方が楽であるというのも間違ってはいない。

 でも結局人間というのは「自分は見られてる。どうせ見られているなら、立派な自分を演じよう」としていた方が、優れた自分でいられるものだ。

 適度な自意識をもって生活をしよう。確かにほとんどの人はあなたのことを見ていないだろうけれど、しかしあなたが想像できないくらい細かいところまで人のことをよく見ている人がいるのも事実である。

 「こう見られたくない」よりも「こう見られたい」という積極的な自意識を持っていよう。
 何も人が見るのは人の悪い部分ばかりじゃない。自分の良い部分を見せ続けることが、他者との関係をよりよく保つ秘訣かもしれない。

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