汚物にわざわざ触れる人

 他の人のnoteを適当に眺めていると、他人や世の中への批判や愚痴をよく見かける。

 日常生活においてよく関わるタイプのうざい人や、どうしようもない社会の理不尽な習慣について物申すことについては、いいと思う。
 その気持ちはよく理解できるし、言葉にするということで、改善の方向に向かうこともあると思うから。

 でも、SNSで話題になった途方もなくお馬鹿な人や、意味不明な動機で犯罪を犯した人、不祥事を起こした芸能人に対して怒りながらよく分からない分析をしている人を見かけると、私は顔をしかめつつ、こう思う。
「あーあ。また、うんこの品評会してるよ」

 実際、汚い人について書かれた文章は、汚い人を彷彿とさせるし、書いた人の心が、全ての穢れを浄化できるほど優れているわけでもない場合は、文章自体も薄汚い印象を与えてしまう。

 誰が見ても低劣な人について書かれたものは、見たくない。というか、低劣な人を描けるのは低劣な人だけなのではないかと私には思えてならない。

 世の中の綺麗な部分にだけ目を向けていたいとは思わないし、汚い部分でも変えられる部分や身近な部分には敏感でいた方がいい。それについての意見も、持っていた方がいい。
 でも、特殊過ぎる汚さや醜さ、愚かさについてはわざわざ触れる必要がないし、なんでわざわざ触って分析して評価するのかなって、不思議に思う。

 まさに、道端に落ちている犬の糞をよく観察して日記をつけている人みたい。まぁずっと続けてたら楽しくなるのかもしれないけど、私としてはあまりいい趣味ではないと思う。

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