嘘をついているという自覚のない善人について

 嘘をつくことに慣れきって自分が嘘をついているという自覚をなくしてしまっている人がいる。

 何も嘘が悪いものだと言っているわけではない。礼儀にかなった嘘というものもあるし、嘘も方便という言葉もある。

 だが、嘘を多用する人間は(言い換えれば、嘘をついたほうがいい状況や立場を避けようとしない人は)そうじゃない人から、意識的にせよそうでないにせよ、嘘つきだと思われる。そうでなかったとしても「嘘をつくことに抵抗がないやつ」だと思われる。

 問題なのは、そうであるということではなく、そのしょっちゅう罪のない嘘をつく気遣い上手な人が、自覚のないせいで「私はなぜ嫌われたのかわからない。きっと私はどんなに人を気遣っても人に嫌われてしまうのだ」などと思い込み始めることにある。

 性格が歪んだ人に嫌われるのは八方美人といえども傷つかない人が多い。

 ただ、正直で人付き合いのいい人に嫌われると、八方美人は深く傷つく。しかも、その原因が分からず、精神の路頭に迷い始めるのだ。

 自分が嘘つきであるという自覚は、多分あったほうがいい。善人は基本的に嘘つきであるし、それを自覚して開き直っていたほうが健康でいられる。

 私は自分が善人であるとは思わないが、善人のふりをするときは多いから、それを心がけている。

 人に嫌われないための嘘が嫌いな人もいる、ということを覚えておこう。

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