なんかめっちゃ真面目だな

明るい気分のときに、自分がかつて書いた重苦しい内容の記事を読んでると、私はこう思う。
「なんかめっちゃ真面目だな」

私は暗い気分で文章を書く時、その自分の暗い気分が誰かの気分を害してしまうのではないかと不安になることが多い。
でも実際に自分の暗い文章を自分で読むとき、それに影響されて暗い気持ちになることはまったくない。多分一度もない。

これは不思議なことだと思う。普通、人の愚痴を聞くと自分も嫌な気分になる。もやぁっとする。でも私の悲観的な独り言は……いや、不快になることはある。でもそれは、自分の嫌な過去やつらいことを思い出して不快になっているのであって、直接的にその文章に対して反感を持っているわけじゃない。

何というか、私の悩みや苦しみは、乾いているのだ。乾いているから、触れても、手が汚れない。

じとっとしていて、それに触れるとその苦しみが読み手に乗り移ってくるような文章を、現代ではよく見かけるけれど、私のこれはあまりそういう傾向がないと思う。

どこまでも自己完結的で、読み手に何かを要求していない。その分何というか、広がりのなさや不毛さみたいなものは感じるけれど(不毛っていう表現、乾いているっていう表現と繋がっててイイネ)逆に同じ苦しみや痛みを抱えて生きている人からすれば、ある意味では安心するものかもしれない。

少なくとも、同じ痛みを抱えつつも明るい文章を書くこともできている私の姿を見ることは、その人自身が明るく生きることのできる可能性を示すのだから、本当の意味で不毛っていうわけではないと思う。砂漠にも雨が降れば花が咲くことがあるからね。

あと砂漠の砂は結構栄養豊富で、風に飛ばされることによって他の地域の豊かさに貢献していることもあるからね。
私の痛みも誰かの豊かさになればいいね。創作の材料にでもなれば万々歳。私をモデルにしてオリジナルキャラクター作ってくれてもよくってよ?

自分の暗黒面の価値をアピールしていくスタイルいいね。なんか面白い。


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