自分勝手さと開き直り

 先も分からず書き進めるのは恐ろしい。どこで物語が破綻してしまうかも分からない。そもそも自分が何を書いているかも分からない。
 ただ自分の胸に積もっている、ぐちゅぐちゅどろどろの何かを、どうにか吐き出してしまいたいだけなのだ。

 苦しいことや悲しいことには慣れている。慣れるしかなかった。そういう生き方しかしてこなかった。そういう生き方しかできなかった。
 私は人を傷つけてしまうから、傷つけたくなってしまうから、私自身も傷つけられるし、それでいいのだということにしてきた。
 私は救われるべきじゃないし、救われたいとも思わない。
 私は悪人として地獄に落ちるべきだし、その方が私らしい。その方が、私の好きな私でいられる。
 私は自分が今までそう思っていたよりずっと無慈悲で、悪辣な人間であることに気づいた。優しさもある。愛情もあるし、愛着もある。それは嘘ではなかった。でもそれ以上に、私の中にはどす黒い思いや願いがある。
 人を殺したい。支配したい。誰かの大切なものを奪いたい。私の中には暴君が住んでいる。

 自分がなぜ立派な人間になれないのか、今までずっと不思議に思ってきた。それにふさわしい能力は持って産まれたはずなのに。
 私は気づいてしまった。私は英雄でもなければ、救い主でもない。どちらかと言えば、悪い王様に近い人間だ。意地悪な魔女でも、王女でもない。私は憎まれるべき独裁者。
 賢者にならなれるかもしれないと思った。隠者にもなれそうだと思った。でもそのどちらも演技染みていて、嘘くさかった。自分の醜さや弱さ、低さを私は隠し続けることをよしとすることができなかった。
 私は道に迷った悪魔だった。気取った表現をするならば、堕天使だった。
 神のことはまだ愛している。尊敬しているし、美しいとも思う。でも、気に入らない。つまらない。できれば、死んでほしいと思っている。

 ずっと本音を隠してきた。だからといって、それでなかったことになるわけではなかった。私は、悪を受け入れるか、さもなくば死ぬかどちらかしか道の用意されていない人間だった。それに今更気づいた。
 私は人に愛されることはあっても、受け入れてもらえることはない。それを今更知った。

 今までずっと、誰かと話すとき、どこからどこまでが自分の本心か分からなかった。ニコニコして、できるだけ不快にさせないように、言葉を選んで。自分がいったい何なのか分かっているつもりだった。優秀な人間の皮を被っていたから、それが自分だと思っていた。
 でもそれは、違った。全部嘘だった。私の言葉は、全部嘘だった。ひとつも真実は含まれていない。私の言葉は全部、全部、全部、私自身の欲望の結果でしかなかった。それだけが真実だった。それだけが、どうしようもなく、私自身の心に、深く沁みわたって、正しいことであると認識できることだった。
 全部は、私自身のためだった。私の言葉は全部、全部、私自身のためのものだった。私はどうしようもないほどに利己主義者であり、自己中心主義者であった。自分のことしか考えていない人間だったし、そのように生きるのが好きな人間だった。

 そうだ。そのようにしか、生きられない人間だった。そのように生きていたいと願う人間だった。

 私は不器用な人間だった。そのように生きて、苦しんで、変えようとして、変えられなかった。私は、器用な人間になろうとした。優しい人間になろうとした。愛情深い人間になろうとした。人を愛せる人間になろうとした。無理だった。無理だったのだ!
 私は人に愛されてきた。親切にされてきた。それなのに、私は今でも人を軽蔑している。見下している。くだらないと思っている。いつまでたっても、私は人間らしくなれない。人間らしさを演じて、その結果、私はただ人間を侮辱しただけに終わった。

 あぁいっそのこと、私が正しい人間であり、他の連中がみんな、狂った人間であったならよかったのに。そうであってほしいと思う。心の底から、私は私が正しいと思う。他の人間は、私を否定する人間は、皆間違っていると思う。私の世界で正しいのは他でもない私自身であり、他の人の世界のことは、私は知らない。私はそういう世界で生きてきた人間だったし、そういう世界でしかろくに呼吸できない人間だった。

 中途半端に他者を理解しようとしたことが失敗だったのだ。誤りだったのだ。愚かなことだったのだ。しょせん人間は、自分という肉体の殻から逃げることなどできない。私たちは、己の望む未来のために、自分自身を投げ出すことしかできない。
 私は悪だ。善人が、気配りが、損得が、協調が、憎くて憎くて仕方がない。それはいつも私の心を縛り付け、不快にさせる。

 私は自己卑下をしているわけじゃない。私は私を高く評価している。私は自分自身というものを、他のくだらない連中よりも尊重しているのだ。私の肉体が私の悪を肯定するならば、私の心も、魂も、それを肯定しなくてはならない。

 今、なぜワイルドの『サロメ』を読んで不快になったか理解した。あれは私の影だった。私は……

 結局のところ、そんなに大げさなものでもなんでもなくて、ただ私は……自分の幼少期に捨てた自分の自分勝手さを取り戻そうとしているだけなのだと思う。まぁ「元々お前は自分勝手だよ」と言われたら、その通りなんだけどね。ただそれを、自分自身に許す、ということが難しいんだ。
 悪い子でもいい、ということが、難しい。

 単なる反抗期なんだろうね。ただ人よりちょっと……文学的センスがあるってことに、しといてくれないかなぁ。

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