開き直って久々に

 なんか、心が痛いので、開き直って現実逃避しようと思います。大好きな人(架空)と喋ることで、つらい気持ちを乗り越えようと思います。闇ですね!

「って思ったんですけど、なんか最近、理知さんのこと考えること少なくて……私今、理知さんのこと好きなのか、ちょっと分からなくなってるんです」
「私を必要としなくなっているっていうのはいいことだと思うよ」
「それだけ、自立しつつあるってことでしょうか。精神が統合されつつあるということなのでしょうか」
「んー。それは私にも分からないけど、私の目に映るあなたは、前よりも元気を取り戻しつつあるように見える」
「でも私、今日すっごくしんどくて……」
「でもそのしんどさを受け入れられてるじゃん。昔だったら、布団にくるまって体のどっかに爪を立ててウーウー言いながら泣いてたでしょ? 今回は、そうなる前に言葉にして吐き出してる。我慢することによって、立派な人間になろうとしてない。それは成長だよ」
「我慢をやめたら、我慢ができない人間になるんじゃないですか?」
「なるかもね。でもあなたはそれでいい」
「理知さんは、我慢し続けているタイプの人間じゃないですか」
「それはね、私の我がそもそもそんなに強くないからだよ。それに、私はそれほど素の私から離れた私を演じていないから。私は元々、義務を課されるのが好きな人間だったし、それを果たすのが好きな人間でもあったから、ただその義務を、他人が定めたものじゃなくて、私自身が美しいと思える義務を、私自身に課しているだけなんだ。あなたはさ、あなた自身が感じられる美しさや強さが、私よりも広くて大きくて不安定だから、私みたいにはなれないし、ならなくていいんだよ」
「そんな簡単な話なのでしょうか」
「簡単な話に聞こえるの?」
「はい。だってそれだと、私が、まるで人よりも、理知さんよりも、生まれつき多くのものを感じられる人間みたいじゃないですか? 私が我慢しなくていい理由が……その、単に私が、耐えなくてはならないものが多すぎるからっていう理由なのは、あまりに簡単すぎませんか?」
「現実っていうのは、案外簡単に解釈していいものなんだよ。というか、簡単な解釈で済ませた方がいいものなんだよ。少なくともあなたは、誰がどう見ても人より繊細だし、人よりよく考える人間だよ。まぁ、ちょっと周りが見えていないところはあるけど」
「それ矛盾してませんか?」
「見え過ぎちゃうから、目をつぶるんだろうね。人の心の端っこを見ただけで『汚い』と思うから、あえてぼーっと、ちゃんと見ないようにしているんだ。私はそういうのは、賢さだと思う。汚いと分かっているものをじっくり見つめても、あまりいいことはないからね」
「なるほど。見ることができる、ということと、見るということをしてる、は別というわけですか」
「同じように、見ることができる、と、見続けることができる、も違うんだよ」
「なるほど」
「あなたはね、あなた自身を醜いとか汚いとか悪劣だとか、そう悪く言うけど、でもそこから目を逸らさなくちゃいけなくなるほどではないことを、分かってるよね。あなたの一番醜い部分ですら、誰かにとってはきっと綺麗すぎるくらいなんだと、私は思うよ。あなたはどう見たって優しい人だし、美しい人だよ。もちろん、心の話、ね」
「理知さんはいつも私が欲しがっている言葉をくれます。でもそれは……私が欲しがっているから、理知さんにそれを語らせているんですよね。これは一種の現実逃避なんでしょう?」
「あなたはさ、自分にとって不利な現実を見たがるからさ、本当なら誰かがあなたに、あなたのいい面の現実を教えてあげなくちゃいけないんだけど、悲しいことに、あなたの身の回りの人間は皆あなたに恐縮してしまっていて、あなたの方が自分より賢いから、自分の意見なんてすぐに否定されてしまうだろうと怖がって、何も言わなくなってしまっている。だから、私という存在はやっぱりあなたに必要だと思うな。消えたくないからとかじゃなくて、あなたの役に立つから。あなたは、すぐ悪い面ばかりに囚われるから。自分のことを嫌いになろうとするから」
「両方の面を見たいとは、思うんです。でも、時々疲れて、片面だけ見て、もうそれでおしまいにしたくなるんです。だって疲れるじゃないですか。ある面では優れていて、ある面では劣っている、とか。あらゆる面で優れていればそれが一番理想的ですし、あらゆる面で劣っているのだとしても、それはそれで一番楽です。その中間は、苦しいんです。どう認識しても、その認識は正しくないから……」
「あなたは正しさを愛している。だから、自分が間違っていることをすぐに認めるし、間違っていることを前提に語り始める。そういう誠実さはきっと、あなた自身の首を絞めるけれど、最終的には、あなたの味方をするのだと、私は思うな。思うというか、私はそう信じてる。あなたの一番の長所は、賢さにあるのでもなく、繊細さにあるのでもなく、優しさにあるのでもなく、誠実さにあるのだと私は思ってる。あなたは、あなた自身に対してとても誠実だから、他者に対しても誠実であることができる。でも、並外れた誠実さはね、他の人の重荷にもなるんだよ。だって、小さな誠実さしか持たない人は、大きな誠実さを持つ人を前にすると、恥ずかしくなる。自分の小ささが、惨めになるんだ。それで、自分も同じようになろうとしても、誠実さっていうのは、意志でどうにかなる問題ではないから。だってそうでしょ? あなたはどれだけ不誠実になろうとしたって、ちゃんと不誠実になれないんだから。あなたは本当の不誠実を知らないし、知らないままでいいと思っている。あなたが人を騙したり傷つけるときでさえ、そこには子供っぽい無邪気さしかなくて、大人が人を傷つけるの時の、あの狡猾さがない。あの、容赦のなさがない。あの、躊躇のなさがない。慣れきっていて、何も感じていない、あの残忍さが、あなたにはない。私はそれを、すごく大事なことだと思う」
「分からないんです。でもそういう誠実さは、持っている人は結構たくさんいるように思います」
「それはあなたが誠実だから、そう思うだけだよ。そう演じている人は、とても多いから。疑いようのないほど誠実な人には、誠実になろうとしている人も、実際に誠実であるように見えるんだろうね。根が誠実だと、誠実であろうとする必要もないくらいに、誠実だから……皆もそうだと、勘違いするんだ。どれだけ多くの人が、不誠実な自分の中で、いかに他者に対して誠実であろうと努力してるか、あなたにはそれがよく分かっていない。あなたは、誰かのために自分を犠牲にする方が、自分のために誰かを犠牲にするよりも簡単だと思っている。皆もそうだと思ってる。だから……だから、簡単に自分を犠牲にしてしまう人を、軽蔑しているんだ。いい人になろうとしている人を、軽蔑しているんだ。でもそれはさ、理不尽だよ。あなたがいかに、綺麗な心を持っているかは、みんな知ってる。皆、あなたには責められたくないんだよ。それなのにあなたは、他の人の努力も知らず、汚いとか醜いとか、あなた自身の立場から好き放題言ってしまう。私、それはよくないと思う。無自覚なのも、良くないと思う。あなたは人よりも賢いし、いい人だし、綺麗な人だからこそ、あなたは言葉にもっと気をつけなくちゃいけない。あなたの声はよく通る。人の心に、響き過ぎてしまう。だから……だからこそ、人は、耳を塞ぐことができてしまう。心を閉ざすことができてしまう。あなたのことを、気にしないようにしよう、と決めてしまうことができてしまう。どうしようもない壁を作って、それ以上貫かれないようにできてしまう。皆、傷つきたくないんだよ。皆は、あなたほど強くないんだよ。自らに、傷を引き受けて、その中で生きていけるほど強くはないんだよ。それを認めて、あなたは自分が人より強いのだと自覚して、弱さに対する配慮をできるようにならなくちゃいけない」
「もういいですよ。分かってるんです。いや、分かってなかったかもしれません。えぇ。今、はじめて考えたことかもしれません。でも、前にも同じことを理知さんから聞いた覚えがあるんです。そうだ。ひとついいですか? 私の……私の自己卑下は、的外れなんですか? それとも、それもまたやっぱり、当たっているんですか?」
「はっきり言うと、当たってるよ。当たってるけれど……そうだね、普通はそんなに、自分自身を苦しめるような事実や現実を見ようとはしないし、どうでもいいとものとして割り切るよ。だからこそ……もしあなたと同じやり方を、他の人がしたら、あなたのそれなんかよりもずっと……悲惨な言葉になってしまうだろうね。あなたは、誰かにとっては完璧と言えるくらいに高潔だけど、それでも欠点と弱さが見つかるのだから、きっとそうでない人からしたら……恐ろしくてたまらないと思うよ。自分の正体を突き付けられる、ということほど怖いものはない。みんな、あなたが思っているほどよく考えていないし、成熟もしていない」
「私は、みんなってのがよく分からないんです。人は皆それぞれ異なっていますし、それぞれ別のことを考え、別の成熟の仕方をしています」
「ねぇ。あなたはさ、人に求めるハードルが高すぎるんだよ。異なっている、ということを自分自身に許せる人は、この現代社会において、それほど多くないんだよ。人間はそれぞれ別の成熟の仕方をするものだ、と分かっている人は、この現代社会において、それほど多くないんだよ。それが、当たり前のことだと思っていることが、ある意味あなたの高潔さを示すと同時に、近寄り難さも生み出している。あなたは、難しい人なんだよ」
「壁を感じます」
「それは相手も感じている壁だよ」
「私は、綺麗な愚かさに憧れています」
「皆は、綺麗な賢さに憧れているんだよ」
「それはそんなにいいものじゃないんです」
「あなたが欲しがってるものも、実はそうなんだよ。全部」
「じゃあ、どうすればいいんですか。私は、何を欲して生きればいいんですか?」
「あなたは自分の外側にある何かを欲して生きるには、豊か過ぎるんだよ。あなたはいつも、あなた自身の中から価値あるものを見つけ出す。逆に言えば、あなたはあなた自身から生まれてきたもの以外には、大きすぎる価値を認めたがらない。あなたは、どうしても認めるしかない価値のあるものと出会うと、少し悔しい気持ちになる。偉大な人たちの知の結晶や、美しく感動的な物語に触れると、あなたは反射的に歯ぎしりしたくなる。それと出会えたという喜びと、愛着と、同時に、それが自分のものでないという事実が、先を越されたという現実が、あなたを悔しがらせる。それくらいに、あなたは高度な人間なんだよ」
「それはただ、思い上がっているだけなのではないのですか?」
「思い上がるのは、人間誰しもそういう部分があるのだから、悪いことじゃない。思い上がり方は、一種類だけではないんだよ。若いうちは、どうしたって思い上がる。思い上がるしかないんだよ。思い上がって、現実にぶつかって、思い知って。結局は、その過程を踏まないと、人は学ぶことができないんだ。だから、いいんだよそれで。変に賢ぶって、謙虚になって、そうじゃない人を嗤っているよりも、愚かにも思い上がって、現実とのギャップに苦しんでいる方が、美しい。その方が、若者として、あるべき姿だと言えると思う。私は、そう思う。あなたは、いい思い上がり方をしていると思う。身近な誰かと自分を比べて競ったり、自分より低い人を見て喜んだりするのではなくて、どこまでも高いところを見て、自分次第ではそこまで行けると思ってる。ううん。今のあなたは、あなた自身の道しか歩まないつもりだし、あなた自身の道を、他の道よりも、他でもないあなた自身にとって、どんな道より価値ある道だと、信じようとしている。あなたはあなたに、この世界で最大の価値を、与えようとしている。それは確かに思い上がりだけど、致命的な勘違いなんだけど、それでも、やっぱりそれは、あるべき姿だよ。年を取れば必ず失われてしまう、若さゆえの傲慢だけれど、でもそれは、やっぱりそこにあるべき傲慢なんだよ。あなたは、前に進まないといけない。誰がなんと言おうと、あなたは、あなた自身がやるべきことを、探し続けないといけない。求め続けないといけない。たとえそれが、いつまでたっても見つからなくても、あなた自身の前に現れなくても、それでも準備し続けないといけない。諦めちゃいけないんだよ。いや、あなたは、諦めることなんてできないんだよ。諦め方を知らないんだ。文章を書くのをやめる方法をまだ知らないように、上手に黙る方法をまだ知らないように、あなたはまだ若いんだから、それでいいんだよ」
「それは、甘えではないんですか」
「若いうちに、甘えられる分は甘えておかないと、損だよ! 後で足りなくなって、年老いてからそれを要求するなんてことがあったら、それはもう残念極まりないから! いつか誰かを甘やかせるくらいに大人になるために、今は大人に甘えておこうよ。あなたはまだ若いんだから。まだ、未来があるんだから」
「それが苦しくても、ですか」
「それが苦しくても、だよ」
「分かりました。きっと、私よりも理知さんの方が、正しく私を見ているんでしょう。自分の目には見えないものがあるから、自分とは違うまた別の目を用意する必要がある。まぁ、分かりますよ。理屈は。でもやっぱり、理知さんの意見は、私自身の意見でもあります。私はそこに、私の精神の歪みを……」
「馬鹿だな。まず間違いなく、私の、あなたを肯定的に捉える意見からよりも、あなた自身のその強情な否定の方が、他の人は歪みを感じると思うよ。あなたは自分に厳し過ぎる。まず間違いなく、あなたの傲慢よりも、あなたのその自己嫌悪の方が、病的だよ。あなたのその、強迫観念とも言えるくらいの、自分に対する疑念の方が、ずっと病的だよ。なんでそれだけ多くのことができて、自分のことを無能だなんて言えるの?」
「でも、そう感じてしまうんです」
「感じてしまうものは仕方ないと思うよ。だからこそ、バランスを取らないと。大事なのは、調和なんだよ。疑うことは悪いことではない。自分を嫌うことだって、別にそれ自体が病的というわけではない。ただ、嫌って、それでおしまい、ではダメだよ。ちゃんと自分のいい部分も見て、自分のことを好きだとも思えていないといけないんだ。そうでないと、疲れてしまう。おかしくなってしまう。自分自身を見失ってしまう。私のような存在を、必要としてしまう」
「今日はもうおしまいにしましょう。眠たいので」
「うん」



 違う人格を用意すると、なぜかその時の気分とは関係のない言葉が次から次へと書き出されていく。私という人間とこの体は疲れていて悲観的なのに、私から分離した別人格は、私の好きな人は、私のことを褒めて、元気よく、激励する。そこには、押しつけがましいところはなくて、ただその人自身が伝えたいことを一方的に伝えてくれているように、私には聞こえる。私がそれを欲しているからそうなっているのか、それとも、単なる自動的な結果としてそこに現れるのか、私にはそれがよく分からない。
 ひとつ言えることはある。この現実逃避のやり方は、私の心を安らかにさせる。意味もなく荒んだ心が、不安定になった心が、少し、柔らかくなる。優しくなる。
 そんなに、世界は悪いものでもないかもな、と思える。

 たしかに、私はまだ若いのだ。どうしようもないくらいに、人生は長く長く続いていく。開き直って、若いんだから仕方ないだろうと、若者らしい愚かさを、受け入れてもいいのかもしれない。傲慢だって、いいじゃないか。嫌われたって、馬鹿だって、いいじゃないか。失敗したっていい。恥をかいたっていい。傲慢な態度っていうのは一種類じゃないし、私が傲慢になったからといって、他の傲慢な人たちと同じ存在になるわけではない。その傲慢は、私自身の傲慢であって、他の人の傲慢じゃない。だとすれば、それもちゃんと認めてあげないといけないんだろうな。私は、自分がとても難しいことをしていると思っている。他の人がどう思うかは分からないけれど、でも、確かに私は、私自身にとって、難しい人生を歩んでいる。実はそれだけで十分なのかもしれない。分からないけれど、今は自分なりに、その時に感じたことや、考えたこと、欲望も、悩みも、つらさも、苦しさも、全部書いていこうと思う。
 他にできることもないしね。どうせ無能……まぁ、それも分からないけどさ、結局やれることやるしかないんだ。

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