定期的に他人のことをみんな気持ち悪いと思ってしまうのはなんでなのか

 気分、というのはおかしなものだ。私は定期的に、同性異性問わず、その人が言葉を話す人間だというだけで、気持ち悪く感じてしまうことがある。
 嫌なところばっかり見つけてしまう。些細なことで吐きそうになって、背を向けたくなる。これは、多分昔からずっとそうだったと思う。寂しくて、誰かと一緒に居ようと思って、実際に話すと、すぐ気持ちが悪くなって、泣きながらひとりきりになるのだ。
 心の底から安心できる相手がいない。何の抵抗もなく心をさらけ出せる相手がいない。いたことがない。慢性的な孤独。どうしようもない孤独。

 普通、大人の方が子供よりも我慢強い。子供より、親の方が我慢強い。私も昔はそうだった。親にたくさんわがままを言って、困らせた。なんでも好きなことを言って、なんでも好きなことをしていたと思う。活発な子供だった。
 いつからか、我慢することを覚えて、褒められるために何かをすることを覚えて、誰かに好かれるために何かをすることを覚えて、私は歪んでしまった。どうして私は意味もなく苦しんでいるのだろう、といつも不思議がっている。

 誰も私の問題に一緒に取り組んでくれる人はいなかった。これからもいないだろう。私自身が拒絶してしまっているから? いや……ほんの一部を見せただけで、みんな怖がって逃げていくから。だってそうだろう? 私の問題は、憎しみや攻撃性、死への欲求を含んでいる。宗教や政治も絡んでいるし……あまりに複雑なのだ。そして、私は誰もがそういうものを抱えて生きていると思いたいのに、現実は、逆を示す。もういいだろう? それを言ったって、何にもならない。ただ苦しいだけだ。

 私が拒絶しているから、人から拒絶されているのか、それとも人から拒絶されることに慣れてしまって、それが当たり前になってしまって、その結果として、先んじて拒絶するようになったのか。

 誰かとともに生きていきたい。ひとりは寒くて、すぐ疲れてしまう。

 それなのに、どこかの集団の中で笑っている自分があまりにも間抜けで、吐き気を催す存在に思えてしまう。プライドが悪いのか? それとも信念が? 分からない。

 いつになったら私は私でなくなることができるのだろう。結局私はいつも、この自己否定に行き着いてしまう。

 この世界がクソばかりに見えるのは、私自身の心と目がクソみたいなものだからなんだろう? でも私はこのクソの塊みたいな自分をやめることができないんだ。死ぬこともできないし、生きることだって、満足にできていない! もう人生を終えた人みたいに、何もせずに生きていることが、つらくてつらくて仕方がないのに、そこから抜け出せないのだ。
 私の目の前に開けた道が、全部私という存在をさらに醜くする道に見える。それは恐怖ではなく、確信に満ちた不快だ。
 不潔な男性が近づいてきているのではなく、縛られたそいつにキスすることを強要されているような気分だ。いつもそうだ。世の中というやつは、デブで不潔で嗄れ声の下品な中年男性みたいなものなのだ。私には、そう思えてならない。他人がみんな、その一部に見えてしまうのかもしれない。あぁ! どうして私はこんなに意味もなく苦しんでいるのだろうか! どうしてこの偏見はいつまで経っても消えてくれないのだろう……

 どうしてまだ生きていかなくてはならないのだろう。いつも、決めたことを覆したくなる。逃げたくなる。生きることから、逃げたくなる。自分自身であることから、逃げたくなる。全部終わりにしてしまいたくなる。耐えるのをやめたくなる。何もかもが無意味であればいいと思うようになる。無意味であれば、何の抵抗もなく、やめたって構わらないから。
 全部死んで、消えてなくなればいいのに。

 私がどれだけ穏やかな表情でこれを語っているか、想像できるだろうか。乾いた目で、ぼんやりと、半笑いで。ソファの上に座って、膝にキーボードをのっけて、猫背で、カタカタカタカタと。

 死んで、自分の「死にたい」の誠実さを示したくなる。生きるということはきっと、嘘をつき続けるということなのだろう。何の希望もないのにまだ生きてる。誰からも求められていないのにまだ生きてる。誰からも愛されていないのに、愛されたいとまだ思っている。誰をも愛していないのに、誰かを愛したいとまだ願ってる。

 私はきっと、誰かに対して害を与えることしかできない人間なのだろう。

 私はきっと、誰かのためを思って何かをやっても、迷惑にしかならない人間なのだろう。

 私はきっと、生きているだけでこの世界をもうひとつ醜くするような人間なのだろう。

 それでも生きると決めたから、まだ生きてる。死にたいのに、生きてる。あぁくだらない。なんてくだらないんだろう。意味がない。無駄だ。死にたい。

 誰も私のことを分かってくれない。

 他の人たちだって、みんなそう思っている。なんで自分のことを分かってくれる人がいないのか、それが分からなくて、嘆いてる。結局、私なんてどこにでもいるめんどくさい女の一種に過ぎない。のかな。

 自分よりよくできた人間に殴られたいと思うのは、きっと私が弱いからだ。

 誰かにその身を委ねたいと思うのは、支配されたいと思うことであり、それは、自分のことを自分で始末できないからだ。

 私の体は誰かに使われたがっているくせに、私の心は誰にも触れられたがらない。他者を求めるのは、私の弱さであり、他者を拒絶するのは……私の何なのだろう? 少なくともそれは強さではない。

 何を残して死ぬか考えよう。先の人生が長すぎて、想像するだけで苦しくて悲しいから、せめて私に何ができるか考えよう。

 何をやって死ねるか考えよう。私が死の前に書けるものが何なのか想像して、慰められよう。あぁ。なんて人生は苦しいのだろう。


 どれだけ自分の弱さと向き合っても、強い自分にはなれなかったよ。弱い自分として生きられるようにもならなかったよ。結局私は、同じところに戻ってきたよ。人生に希望なんてないよ。あっても、それは一時的なものだよ。苦しいよ。苦しいんだよ。人生は、どうしようもなく苦しくて、何もかもが、それを耐えるための麻薬なんだよ。あぁ、どうして私はこんなに疲れ果ててしまったのだろう。
 それとも、今更やっと、自分が疲れ果てていることに気づいたのかな。そうかもしれない。思えば私は、あの日からずっと疲れている。前向きに生きられたことなんて一度もなかったんじゃないかと思えるくらい。現実と向き合ったことなんて一度もなかったんじゃないかと思うくらい。

 ずっと逃げ続けて、逃げることにも疲れて、ふと立ち止まって、向き合って、塞ぎ込んで、なんかもう疲れたなぁって、ぼやいてる。飛び降りて、何もかもを終わりにしてしまいたくなる。

 なんかもう疲れたんだよ。疲れた。

 かわいそうに。

 もう無理やり明るい言葉を導こうとするのもやめる。結局私は、ダメなやつだから。

※フィクションみたいなものだから、気にしないでね。ちょっとした遊びだから。

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