祈る者


 私は神に祈る時「神はいない」と思いながら手を結び、目をつぶる。

 私は、いつもいないと分かっている神に祈っている。救われるためじゃない。ただ休むために、祈っているのだ。

 神を想う。死んでしまった神を想う。私の全てを見ていた神を、想う。

 神は、私の罪や不幸だけでなく、私の善良さや高貴さも見てくれている。だから、神は私を愛さずにいられないことだろう。私は……神に恥じるようなことはしていない。私は、神がいてくれたら、と思わずにいられない。
 それでも……それでも、神はいないのだ。神など、いないのだ。いなくていいし、いるべきではないのだ。
 もし神が私を見たら、私の惨めさや愚かさをあまりに不憫に思い、同情して死んでしまうことだろう。心を痛めて、それでも自分が何もできない事を知り、耐えられなくなって、死んでしまうことだろう。
 そうだ。神はそうやって死んだのだ。私の全てを見ていた神は、忘れることが出来なくて死んだ。
 私は私が神に対して恥じるようなことを全部忘れたから、私は神を想うことをできる。でもそんな神がもし存在したら、やはり……神は死んでいることだろう。少なくとも、私に対しては死んだふりをするしかないことだろう。
 偉そうにふんぞりかえって私を裁くには、神は優しすぎる。神は、ものごとを知りすぎている。事情を、分かりすぎている。神は私を裁けない。それなのに、裁かなくてはいけない。だから、神は死んだのだ。私の神は、私が殺してしまったのだ。
 だから祈るのだ。神がどうか安らかでありますように! 私は神に祈るのだ。神に祈るのだ。
 祈ることしかできないのだ。あぁ! 宗教があるから信仰心があるのではない! 人間の内なる信仰心が、宗教を産み出したのだ。産み出さざるを得なかったのだ! その証拠に、宗教亡き今、私は無を信仰している! 
 人は、何かを信じずにいられないのだ。それほどまでに、人間は気高い生き物なのだ。己より優れた存在を、己より賢い存在を、己より絶対的な存在を、己の内に思い描いて愛する生き物なのだ。

 神よ! 私を愛したまえ! 私の神よ! 私だけの神よ! どうか罪深い私を許したまえ……

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