頑張ってる人たちはみんなえらいなぁ

 ぽかーんって感じ。もう、口半開きで、目もいつもよりちょっと薄目で。
 なんか生きるの疲れちゃったし。言葉を繋ぐのももうやめちゃおっかなぁと思うんだけど、他にやることもないしね。

 暇つぶし、だ。楽しくはないけれど、ゲームも面白くないし、テレビとか動画とかは、ちょっとしたことで不快になっちゃうから、ヤダ。
 もし、現実に理知さんがいたら、ボードゲームか何かに付き合ってもらってると思う。頭使って、いい勝負して、意味のないスキンシップをして、小さな愛情を感じて。それで満足して、今日という一日を終わらせることができると思う。

 最近気づいたんだけどさ、私、男の人ってちょっと苦手なんだよね。多分。意識しちゃうからとかじゃなくて、不安になっちゃうからなんだよね。仲良くなるとさ、距離が近くなるとさ、どうしてもそっちの方向の可能性を考えてしまうから、それが疲れちゃうんだろうね。危険を感じてしまうんだろうね。本当に心から安らかでいられる関係って、やっぱり同性じゃないとダメなんじゃないかと思って。下心がなくても、私みたいな人間は、表面化しないちょっとした思い付きに反応して、嫌な気分になっちゃうんだよ。相手がちょっとでも「あれ……この子……」みたいに思っただけで、私は引いちゃうんだよ。意識的に、そういうのを見逃そうとしてるけど、でもそういう風に意識を働かせること自体が、疲労の原因なんだよ。疲れを取るために誰かと関わってるのに、その結果また別の方向で疲れちゃうんじゃ、本末転倒なんだよね。
 まぁでも、だからといって男に生まれたかったというわけでもないんだよ。多分、話が通じるのは男の人の方が多いと思うんだけど、なんだろ……なんか、それも違うなぁって思うんだ。

 なんか、意味もなくずっと手を繋いでいられるような、対等な友達が欲しい。なんでも許してほしい、とは思わないけど、ただ静かに、同じ時を過ごせるような、そんな関係が欲しい。

 時々思うんだよ。浅川理知って、あまりにも人間としてよく出来過ぎている。まぁそりゃ、私がかつてそうなりたかった姿なんだから、私が目指してた人物像でもあるんだから、それは当たり前なんだけどさ。でも、私の実際というか、不安定で、馬鹿げていて、思い上がってばかりの私なんかじゃさ、彼女にはふさわしくないんじゃないかって、そう思っちゃうんだよね。
 なんか最近思ったんだよ。私ってさ、本当にダメなやつだったんだなぁって。なんかよく分からないんだけどさ、武器はあるんだけどさ、でもその武器をどう使えばいいのかも分からないし、そもそもこれが役に立つかどうかも分からないしさ、まぁ一言で言っちゃえば、私は馬鹿なんだよ。馬鹿なりに頑張ってきたけどさ、どんだけ頑張ったって馬鹿は馬鹿。いつも努力の方向はズレてるし、しょうもないことでいちいち真剣に悩んで、消耗して、大事なことからは逃げ出して、というか、何が大事なことだったのか忘れて、今みたいに、間抜けな顔して自己省察してるんだよ。自分を見たって、何もないんだよ。しょせん人間なんて、他の人と関わってナンボなんだから、ひとりでいたって、何もできないし、何も生まれないんだよ。それなのに私は、ひとりでどうにかしようと思ってさ、周りの人間を見下してさ、というか、本当に私は周りの人間を見下せていたのかな? それって実は……なんかよく分からないな。見下すって何なんだろう。そんなに下に見ていたのかな、私は人を。少なくとも外面は、私は誰に対しても丁寧だし、謙虚でもある。というか、それを装ってる。過剰なくらいに、私は自分を低くするし、というか年齢的にそうしていた方が相手も自分も話しやすいからそうしているっていうのが正しいんだけど……傲慢だって、言われたことなんて一度もないし。小学生の頃はあったけど、中学生以降は一度もないな。生意気だって言われたことはあるな、でも。
 私が人に不満を持つのって、私が私に不満を持っているからなのかな。それとも単に、その人自身に何か問題があるからなのかな。
 でも時々あるんだよね。皆が誰かひとりに怒ってるとき、私ひとりが「まぁそれくらいいいじゃん。お互い様だしさ」となだめることはよくあることだ。よく知らない人の無礼に家族が腹を立てている時も「あの人もきっと何か嫌なことがあって、たまたまあぁいう風な態度を取ってしまっただけだよ」となだめることは多い。私、実際、誰かと一緒にいるときはだいたいいつも笑ってて、過剰なくらい寛容で、周りの人間を無理せず尊敬してて、できるだけ人のいいところを見つけるようにしてて……でもそういう「いい子ちゃん」であることの反動が、こういう風な文章として現れるのかな。それとも、私は思春期特有のアレ、つまり反抗期の一環として、自分自身の悪い部分を、あえて前面に押し出そうとしたのかな。んでも、それも大してうまくいかず、結局元の穏やかな気質の自分自身に戻ってきた、ということ? まぁそう考えた方が、楽だなぁ。

 みんなそれぞれ自分のことで精一杯だからさ、他の人の「自分」についての悩みなんて、普通は興味ないんだよ。だから、誰も書かない。青春の悩みみたいなものはとてもありふれていて、普通青春っていうのは、恥ずかしがりで怖がりだから、そういう悩みを隠しちゃう。私だって、現実においてはそうだ。誰も私がこんな人間だなんて、知らないと思う。友達も知らないし、親も知らないよ。伝えようとしても「いや、そういうの無理」って言われちゃうからね。何回言われただろう? 私、寂しいな。
 だから、不特定多数の前で吐き出すことで、疑似的に誰かから許してもらってる気分になりたいんだよ。真面目過ぎるのかな。

 誰も傷つけたくない、というよりは、特定の誰かを傷つけたくない、というのが正しいのかもしれない。人を傷つけて傷つくのは自分自身。それはもう、なぜかそうなってしまうような自分になってしまったから、考えても仕方ない。色んな後悔がある。馬鹿なことをしたなって思うと同時に、でもそれをしないと分からなかったなって部分もあって、結局できることと言えば、反省と謝罪と感謝だけなんだよ。私はたくさんの人を知らないうちに傷つけてきただろうし、迷惑もかけてきただろうと思う。本音を言えばさ、私は申し訳なくて仕方がないんだよ。自分の人生の過ちとか、間違えて言ってしまったこととか、自分のために誰かを利用したこととか、実は全部謝りたいと思ってるけど、謝ることができないから、というか謝っても仕方ないから、だから、ずっと自分に対して言い訳し続けているんだよ。
 だってさ、誰も私のこと悪いなんて思ってないんだよ。私に謝られたって、困るだけなんだよ。だってその人は、私よりも、また別の人にもっと傷つけられていて、また別の人に不満と怒りを抱いているんだ、いつも。だから、私が謝ったって「あなたは悪くないよ」と言われておしまいなんだよ。違うんだよ。そうじゃないんだよ。私はさ、ただ……許して欲しかっただけなんだと思う。悪くないって言われたかったわけじゃなくて「あなたは確かに悪かった。でも、反省してるなら許してあげる」って言われたかったんだよ。「苦しかったよね。今までずっと、謝ることができなくて。ずっとひとりで悩んでいたんだよね」って、言って欲しかったんだよ。でも、言ってくれる人はひとりもいなかったんだよ。そこまで理解できるほど賢い人も、共感性の高い人も、愛情深い人も、いなかったんだよ。分かってるよ。私が求めていることは、あまりにも高度なんだ。わがままなんだ。簡単なものは全部、何もしなくても手に入るくらい恵まれていたから、そんな難しいことを他者に求めてしまうんだ。そして、そんな理不尽な期待に答えてくれなかったという理由で、その人を軽く見るようになって、愚かだと思うようになって、本当に間抜けだな、私は。
 結局私は、自分を高く保ちたかったのではなくて、ただ単純な欲望を満たしたくて、でもそれが叶えられないから、その結果として、人を拒んでいたわけだ。かわいそうな、子供だったんだな、私は。もういいよ。何も問題は解決していないけど、ひとつ新しい解釈ができたということで今は満足しよう。

 人を軽蔑するのは、確かに人間にはじめから備わった習性のひとつではあるんだけど、それは、たいして大きな問題ではなくて、誰もがそうだから、気にしなくていいことだったんだよ。人は気軽に軽蔑するし、気軽に尊敬するし、しかも、自分が軽蔑していたことや尊敬していたことを、次の瞬間にはもう忘れているものだから、それについて重く捉えたり、申し訳なく思ったりするのがおかしかったんだよ。
 人より賢いだとか愚かだとか、比べてそう思ってしまうのも、仕方のないことだし、誰しもそういう部分は少しずつ持っているんだ。自分もそれを少し持っているからといって、それを重大ごとと捉えて、罪か個性か何かのように感じているのは、明らかにおかしかった。なぜ自分と同じことを言う人をいないのかということも、その答えは簡単だよ。ものごとを、自分自身だけに当てはまることだと思いすぎていた。そういう思考形式自体は悪くないのだけれど、でも、別に特別でないことを特別だと思って、別に重くもないことを重いと思い込んで、それで悩んで苦しんで傷つくのは、あんまりにも馬鹿っぽいよ。

 まぁそれでも、私はそういう人間だからさ、死ぬまでずっとこういうひとり芝居を続けるんだろうな。小さなことを大きく捉えて、重く捉えて、それに真剣に悩んで、場合によってはそれが原因で死にかけて、それでもなんだかんだ立ち直って、開き直って、そんなもんだって笑いながら生きるんだ。
 確かに私は強いんだよ。意味もなく、ね。でもやっぱり私が、本質的にたいして何もできない人間であることも正しい。それも、私だけにかぎった話じゃなくて、大半の人間はそうなんだよ。特別な能力に憧れたって、自分の持っていないものを欲しがったって、たいていは無意味に疲れて、苦しむだけなんだよ。成長なんて、意志してするものじゃなくて、ただ自分がその時にしなくちゃいけないと思ったことをしていった結果、勝手に育っていくものなんだよ。目標なんて必要ないし、プレッシャーも、欲望だって必要ないんだよ。欲望があるなら、それを原動力に前に進めばいい。でも前に進みたいからといって、そこにない原始的な欲望を自ら産み出そうとするのは、おかしな話だよ。うまくいくわけないよ。私はしょせん私に過ぎないし、私なりに私のやり方でやっていくしかないんだよ。

 苦しいなー。頑張っても苦しいし、頑張らなくても苦しい。休まなくても苦しいし、休んでいても苦しい。私の人生って、どうあがいても苦しいんだよ。どうしたって、この苦しみからは逃げられないんだよ。どんなに自由でも、どんなに好きなことをしていても、どんな人と関わってても、結局生きることは苦しいんだよ。苦しいと思いたいから苦しいんじゃなくて、苦しいって感じてしまうんだよ。そういう、体の構造なんだよ、なぜか。なぜかそうなんだよ。そうじゃない人は、そうじゃないと思うよ? 苦しみに対する感度が私ほど高くない人は、どうぞ笑って生きてください。私はそういう人を少し羨ましいと思いながら、でも羨ましいと思ったって、そうなることはできないから、この苦しみを抱えたまま、楽しく、明るく、幸せに生きていくしかないんだよ。いいじゃん。苦しくたって。苦しくたって生きるしかないし、やることやるしかないんだよ。

 人生、なんかヤだなって、そう思いながらなんだかんだ天寿全うしていくんだよ。馬鹿みたいだけど、私にとって人生って、どうしようもなくそういうものなんだよ。あぁほんとにクソだな。

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