正義と神とカマドウマ

 時は世紀末。ある街に無法者の集団がやってきた。
「おい。この街に頬に十字のあざがあるやつが逃げ込んでこなかったか?」
 街の代表者である小太りの親父がむっとしたまま答える。
「知らんな」
「少し探させていただけないか」
「貴様らのような集団を街に入れるわけにはいかん」
「お前らに選択肢はない。こちらはできるだけ穏便に事を済ませたい。奴隷がひとり逃げたんだ。探させてくれるだけでいい」
 無法者たちは皆銃を携帯していたが、街にはそんなものはなかった。この辺を緩く統治している王が銃の所持を禁じていたし、軍隊を呼びに行くにしても、時間がかかる。その間に彼らに街を蹂躙されでもしたら、目も当てられない。
「探すだけだぞ。今日の間だけだ。市民にも手を出すな。もし何かあったら、すぐに軍を呼ぶからな」
「あぁ。探すだけだ。お前ら、行くぞ」
 一日中探したが、目当ての奴隷は見つからなかった。時間と手間を無駄にしてむしゃくしゃした無法者たちは、市民たちに当たり散らそうと思ったが、先ほどの親父が皆に隠れるよう指示していたため、それも難しかった。隠れている人間をわざわざ探しだしてひどい目に合わせることはさすがに、彼らのリーダーが許さなかった。
「無駄手間だったな」
「だから言っただろう。知らない、と」
「お前ら街の人間はすぐに嘘をついて人をかくまう。お前らが常に正直であれば、こちらもこんなことをする必要もなかった。一日分の食糧と時間が無駄になったから、その分を貰って行くぞ」
「は? お前はいったい何を言っているんだ」
「何もおかしなことは言っていない。お前らが俺たちの時間と手間を無駄にしたのだから、その分を埋め合わせするのが道理だろう」
「私たちは何もしていない! お前らが勝手に時間と手間を無駄にしただけだろう! それにこちらだって、お前らのせいで街のほとんどの仕事がストップしたんだぞ! 本来補償を請求する権利はこちらにあるはずだ!」
「その言い分が正しかったとしても、銃を持っているのはこちらだ」
「正義に悖る行いだ」
「正義とは力だ。今ここで力を持っているのは我々だ。女子供を奪わなかっただけ感謝していただけないか」
「神は見ているぞ」
「神はいない」

海「はいででどん! 海ちゃんと哲学、通称海哲の時間でーす」
真子「やったぜ」
友里「今の話結構面白かった」
珠美「ケンシロウいつ出てくるの?」
海「ケンシロウは出てきません。今回の議題は、無神論についてです」
真子「あーなるほど。公正な取引は神がいるから成り立つ、みたいな話?」
海「今の話だと、力に差がある場合、一方的な搾取が行われるわけじゃん? だからそれを禁止するために、神という存在が導入されたのではないか、という仮説があるね」
真子「んー。それはあれだよな。別にキリスト教圏に限った話じゃなくて、アニミズム、あらゆる原始宗教にも見られることだよな。力にものを言わせて理不尽に何かを奪っていくと、何か超自然的な力によって痛い目に合う、みたいなの」
友里「今でもそういうの信じてる人結構多いだろ」
珠美「友里ちゃんは信じてないの?」
友里「信じてない。私は無神論者。インモラリスト(反道徳主義者)」
真子「でもお前、その割には公正さとか結構重んじてるよな」
友里「だって自分が理不尽なことされたら腹立つじゃん。現代はさ、ベースに法律とか、公平であることについての観念みたいなの基本的にみんな持ってるから、自分が理不尽なことしなければ、人から理不尽なことされずに済むわけじゃん? 基本は、さ。だったらそういう風に動くのが合理的だろ」
海「ガチガチの無神論者で笑う」
友里「え、逆にお前ら違うん?」
真子「私は神がいるかどうか分からんと思っている。証明も反証明もできへんやん」
珠美「私はいて欲しいと思うなぁ。やっぱ、裁かれてない悪い人とかも世の中にいっぱいいるだろうし、そういう人が笑ったまま死ぬのはなんか気分悪いなぁって感じだし」
友里「お前それだとさ、自分が天国に行けること前提に考えてない?」
珠美「え、私行けないと思う?」
海「地獄に行くときはみんな一緒だよ?」
珠美「りっちゃんと一緒なら地獄でもいいよ」
海「りっちゃんどう思う?」
理知「神がいるかどうかって話?」
海「そう」
理知「昔はいろいろ考えていたけど、今はいなくていいかなぁと思ってる」
海「いなくていい?」
理知「たとえばキリスト教的な神がいたとすると、それを知っていながら信じていない私たちは基本的に皆地獄に落ちる。その教義をそのままに取ればね? でもそれはさ、理不尽だし、正義に悖ると思う。私は、そう思う。自分自身の利益のため、つまり天国に行くために、そういう正義に悖る行いは、私はできない。自分だけが天国に行くために、他のキリスト教を信じていない人たちとのつながりを断ち切って、神に祈り続けるのは、私にとってはやはり正義とは言えない。私は自分の利益よりも自分の正義を優先するから」
友里「なかなか重量級の意見だな。珍しい」
真子「けっこう強く言い切ったね」
海「正義、かぁ。りっちゃんにとって正義ってどういうこと?」
理知「裁きとか法とかは関係なく、ただ自分らしくあること。自分に恥じない自分であること。自分に責められない自分であること。それが私の正義」
珠美「ま、眩しい! りっちゃんが眩しい!」
友里「他の人間もそうであるべきだと思う?」
理知「思わない。私の正義は私だけのものだから、他の人がどうであるかは関係がない」
海「めっちゃ高潔。でもキリスト教への反論としてはかなり強めだね。神の助けなしでは人は善い存在になれない、という命題に全力で反対してる」
友里「あぁ最初の話、それを意味してたのか。つまり、あの市長? みたいな親父も、もし神を信じてなければあの無法者と同じように力にものを言わせていたであろう、っていう考え方?」
海「そうそう。神がいないと、人間は皆自分の利益を優先して生きようとする」
友里「んー。私自身もそうだし、他の人もみんなそうだと思ってたんだけど、理知見てるとそんなことないなぁとも思う。理知平気で自分の損得とか投げ捨てるもん。どうでもいいと言わんばかりに」
真子「それはお前もそうじゃない?」
友里「私は多分頭が悪くて計算間違えているだけ」
海「正直私にはそう思えないけどね。私自身が、どうあがいても自分中心的だからさ……友里はそういうタイプじゃないと思う」
友里「せやろか」
真子「無意識的な部分もあるんじゃない? 友里けっこう、自己犠牲的なところあると思うよ」
友里「私にも神が宿ってるのか……」
理知「普通に人間の一機能だと思う。人間の一機能を、神のもとに帰して、神を信じていない人間にはその機能が備わっていないものだと捉えようとしたことは、キリスト教神学の致命的な誤りのひとつだと私は思ってる」
海「えぐい否定するね。それ言われたら、結構きつくない? キリスト教側」
真子「散々言われてきたことだからなぁ……日本に住んでたらあんまりそういう論争知らないと思うけど」
友里「歴史勉強してたら、そういう話結構出てくるん?」
理知「私たちが思いつくようなことはもう何度も繰り返し言われてきたことだよ。どこの国に住んでいたって、人間は同じことを考える」
真子「『賢い人間は』って言ってもいいと思うよ。いわゆる『普通の人は』そんなこと考えないし」
友里「それちょっと傲慢ちゃう?」
珠美「私、りっちゃんは賢いと思う。みんなも自分の頭で考えててすごいと思うよ」
友里「なんでもいいんだが、言い出しっぺの海としてはどう思うん? 神について」
海「んー? んん……どうだろうねぇ。実は多分私、こんなかで一番考えてないと思う。みんなどういう風に思ってるのかなぁって気になってただけ。正直、宗教についてはそんなに詳しくないし。ともあれ、法整備さえされていれば、さっきのような理不尽な取引は行われないよね」
友里「だが本質的に、法は力あるもののものだから、その力あるものが利己的である以上は……」
真子「今力あるものって何?」
海「アメリカ」
珠美「ワロタ」
真子「ワロてる場合じゃないんだよなぁ……」
海「中国も強いね」
友里「現実見てると、確かに神がいないと正義とか公正とか保てないような気がしてくるな」
真子「おっと。無神論者やめるか?」
友里「いややめへんけど。まぁ実質アメリカって国を動かしてるのって、金持ち連中なんでしょ? うーん……やっぱ神が必要か?」
海「でも今更神を創造するのは無理そうやで」
友里「なんかそういう見方をすると、理知の個人主義って一種の逃避だよな。他の人に正義を求められないから、自分自身だけでもそれを貫くっていうのは」
理知「当たってると思う」
友里「あ、普通に認めるんだ。反論されると思った」
理知「友里は鋭いよ」
珠美「いいなぁ。ゆりっぺりっちゃんに褒められて」
友里「へへ」
海「あのさ、そもそも友里とかりっちゃんとかは、なぜそこまでして正義とか公正にこだわるの? 自分が損しなければ構わないと思わないの?」
理知「それは直感的なものだから理屈じゃないと思う。ただ単に、自分のためだけに動くのは気持ちが悪いんだ。恥ずかしいとも思う」
友里「ほ、ほぉ……いやでも、分からんでもないというか……なんか自分が分かんなくなってきた」
真子「恥ずかしいって感覚なら私も分かるな。なんか、ずるいこととか、理不尽なこととか、そういうことをしているところを誰かに見られたら恥ずかしいと思うし、この時代何やってたって誰かが見てる可能性はあるんだから、やっぱりそういうことしないのが一番だなぁって私は思う。っていうか普通の人はみんなそうじゃない?」
珠美「私もそんな感じかな。私はそんな深いこと考えてないけど、ひどいことはされたくないし、誰かを傷つけたって気分悪いだけだから、できるだけみんな仲良くというか、いい感じに過ごせたらなぁって、ただそう思って生きてる」
真子「海は?」
海「正義かぁ。正直どうでもいいと思ってる。私自分のことクズだとは思ってないけど、自分勝手だとは思ってるし、自分勝手でもいいと思ってる。でもやっぱりさ、何だろう。やなやつだって思われたくないし、みんなは私がこういうこと言っても嫌いにならないし、そもそも私がこういう人間だって分かってて付き合ってくれてるから正直に言うけど……うん。普通に私は、自分のために誰かを犠牲にするのは何とも思わない人間だよ。でもやっぱり、自分にとって利益になる人に対して、自分も利益を与える存在でありたいというか。普通にギブアンドテイクでありたいというか……いやまぁ、正義とか悪とかはしょせん何か、誰かの押し付けでしかないと思ってるけど、仲間は自分のために大切にした方がいいっていうのは普通に分かるし、そういう感じで生きてる、かなぁ」
友里「けっこう考えとるやん」
海「ん。まぁね」
真子「海の考えは別に変だとは思わんな。誰しもそういうところあるんちゃう? 理知にだって少しはあるだろ」
理知「うん。私自身がこうでありたいって思うのと、自分が実際にどうであるかはやっぱりちょっと違うからね。多少なら違っていてもいいと思うし」
友里「ありがたいお言葉やね」

海「はい。きりがいいので今日の海哲はおしまいでーす。ここからはカマドウマの話でーす」
珠美「あれかわいいよね」
真子「は?」
珠美「ピョーンって跳ねるとことか」
真子「正気かよ」
友里「さすがの私でも理解できない」
海「私はゲジゲジ派」
真子「あ、あのプールにいる奴?」
海「そう。私あれなら触れる」
真子「嘘でしょ? 毒あるんちゃうのあれ」
海「人体にまったく害がないレベル。そもそも性格が攻撃的じゃないから、無問題」
友里「えっと。たまがカマドウマ派で、海がゲジゲジ派? 確か理知、前にミルワーム触れるって言ってたよな」
理知「川釣りにはまってた時期あるからね」
友里「理知はミルワーム派、と」
珠美「私もミルワームいけるよ。多分食べろって言われてもいける」
理知「衛生上よくないからやめたほうがいいよ」
友里「やばい。話のレベルが高すぎてついていけない」
海「真子は何派?」
真子「私、虫は比較的いける方だと思ってたんだけど……世界は広いな。それじゃ私コウロギ派で」
友里「コオロギはカマドウマの下位互換だろ」
珠美「それな。まこまこもカマドウマ派ね」
真子「カマドウマは違うじゃん。キモさのレベルが違うじゃん……」
海「友里は?」
友里「私カブトムシが好き。かっこいいじゃん」
海「少年の心」
珠美「カブトムシとかエッチだなぁ友里ちゃんは」
友里「あっそういうメタファー? 全然そんなつもりなかったが」
海「よく虫から即座にそっちの方に発想飛ばせるね」
真子「それを言うなら、正義とか神の話からいきなりカマドウマに話移したお前もたいがいやぞ」
海「確かに(笑)」


 私が普段何もないときにクスクス笑い始めるのは、頭の中でこういう会話をしているからです。思い出し笑いではなくて、創造的笑いなのです!
 あとこういうレベルのユーモアを容易に解せる人がどれくらいいるのかは正直興味ある。真面目な話とふざけた話の境界線を引かないこと、みたいな。流動する空気感、みたいな。
 私はキモい虫の話をするのと同じくらいの気軽さで哲学とか、宗教とか、政治の話してもいいと思うんだよ。というか、そうしたいっていうのが本音。
 逆に言えば、頭よさそうとか悪そうとか気にせず、真剣な話からいきなり幼稚な話で盛り上がったりもしたい。なかなかこの時代そういうの難しい。


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