プペルを観てきてポロリな話
昨日の夜、わたしは妻と、映画館にいました。
「・・・なんか。すごく、よかったよね。」
「そうだね。・・・すごかったね。」
ポップコーンとチュロスの残りを食べながら、しばらくの間ぼぅっと、スクリーンの席に座り込んで独り言のようにつぶやく。
観終わったばかりの「えんとつ町のプペル」について、とりとめもなく、一緒にみた者同士だから辛うじて通じる程度の、少ない言葉で感想を語りあっていた。
「キャラクターもさ、、あれだ、、よかったよね。」
「そうね。」
「後半の音楽も、、厚みが、、広がる感じが、、すごかったよね。」
「うん。すごかったね。」
気持ちのいい映画を観終わったあとはすぐに言葉がでてこない。
いや、言葉にしたくない気さえする。
それでも「なんか良い」と思った正体を知りたくて会話をつづけていると、ひとつ見つけた気がします。
それは、「大衆」が主人公であるところ。
何かしら違和感を感じたり、不条理の中で生きている大衆の人々。
彼らの感情が動き、立ち上がるシーン。そこに人間らしい複雑な、理性と感情、本音と建前のせめぎあいを感じて「あぁ、なんかいいな」とゾクッときたのだと思います。
帰りの道中。そんな発見を妻にも話してみる。
「わかるよ。わたしも、うるうるきちゃったな。うるうるというか、ぽろぽろかな。」
白い息を履きながら、年かなぁ、なんて嬉しそうにつぶやく妻の横顔。
それを横目でみなが(誰かに聞こえても構わないやと)映画の主題歌を口ずさむ、深夜の夙川2号線。
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