平家物語

7つの習慣「終わりを思い描くことから始める」=諸行無常

7つの習慣と仏教の共通点を探る。vol.2

祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。

有名な平家物語の冒頭部分ですが、これで小学生かな中学かな?そのころに初めて諸行無常という言葉を知りました。あれから50年くらい(笑)、スティーブン・R・コヴィー先生が7つの習慣の中でも最も重要とおっしゃる第2の習慣「終わりを思い描くことから始める」仏教の三法因の一つ「諸行無常」とあわせて考察してみます。

あらためて諸行無常とは?

諸行=全てのこの世の現象。
無常=常に変化している。

ですから、全てのものは続かない、永遠ではないわけで。。。

平家物語の冒頭「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。」では、平清盛一代で天下をとり栄華を極めた平家が20年というアッという間に滅びていく姿から、平家一門だけではなく、すべてのものは無常なんだと教えていますし、

幼くしてご両親を亡くされた親鸞聖人は「明日ありと 思う心の 仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」と、咲き誇った桜がやがて散っていくことを通して、世の中の無常、また自分もやがて死んでいかねばならないことを悟られていました。

またかくいう私も、、、「この記事を書き始めて10分ほど経ちますが、確実に10分歳をとり死に一歩近づきました。あっ!髪の毛も3本抜けちゃった(笑)」

なんてこんな風に、いつも死を意識してなんか生きていませんよね。でも、諸行無常ですから人は絶対に死にます。(ここだけは絶対が使えます。)

このように仏教では、死を意識して生きる「死生観」とも言いますが、その大切さを2600年前にすでに教えていました。

終わりを思い描くことから始める

コヴィー先生は、7つの習慣 第2の習慣「終わりを思い描くことから始める」の冒頭で、自分自身のお葬式の様子を描き、弔辞で縁ある人たちから何と言って欲しいか?と問うてこられます。

これはまさしく死生観に対する問いであり、それは人生の目的を問うものです。

諸行無常の原則からして、人はいつ死ぬかわかりません。そんな人生を日々の忙しさや自分の我欲のままに生きていると、人生の目的を見失い時間の経過とともに後悔が残るようなことになってしまいます。

「終わりを思い描くこと」とは、人生の目的を定めそれを使命として今を生き切ることで、時間の密度が増し、逆境にも強くなり、迷いが無くなり、善き生き様を残す人となるのでしょう。

あなたの人生の目的は何ですか?

私の人生の目的は「無敵(敵がいない在り方)を実践し、広めること。」です~!

※7つの習慣と仏教の共通点を探る。vol.1はこちら

すべてはうまくいっている!

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これでいいのだ!

ありがとうございます(^^)

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