坐

幸福論~幸せって何でしょうね?~

幸福論なんてでかいタイトルにしていますが、三大幸福論といわれる、ヒルティの『幸福論』(1891年)、アランの『幸福論』(1925年)、ラッセルの『幸福論』(1930年)。どれも読んだことがない、むてきちゃんです(^^;;

とは言え、書いてみようと思ったのは何度か参加させてもらっています、増本晃明さん@マッスー主催のゆるい坐禅会での話題が「幸せ」についてであって1時間ほどの対話でいろいろ面白い話が涌き出てきたので書き残そうと思いましたとさ(笑)

空の概念からの「幸せ」

ちょうど前回のnoteで「空」について書いたその日の夜の坐禅会でしたので、空の概念からの幸せについて話しました。

五蘊皆空「この世の全ての存在や現象は、実体などなく全てのものは、空(ゼロ)である。」

という概念からすれば、絶対的な「幸せ」も「不幸せ」もこの世にはなく、ただ空なのだから

わが身に降りかかった、現象や事象を幸せと捉えれば幸せなのであって、不幸せと捉えれば不幸になってしまうだけ。

なので、「幸せ」とは。。。

「本人が、幸せと思うこと、幸せと感じたことが”幸せ”」

となるのですが、ここで質問が・・・

でもね~、、あきらかに嫌な事や、痛い事されてもその瞬間に「幸せって思えるんですか?」と、確かにそうした刺激を受けた瞬間は「ムカッ!」「イラッ!」ってなってしまうことは日常茶飯事にある、むてきちゃんなのですが、「刺激と反応の間には選択の自由がある」という原則を思い出し、反応するときには「幸せ」を選択できると何とか切り抜けました(笑)

こうしたやり取りのあと素敵な話が続きます・・・

7つの習慣、アウシュビッツでの出来事

刺激と反応の間には選択の自由がある話は、7つの習慣(スティーブン・R・コヴィー著)の中で出てくるアウシュビッツに送られたユダヤ人精神科医の話ですねと、詳しく話してくれました。

第二次世界大戦時にナチスドイツの強制収容所に送られ、筆舌に尽くしがたい体験をしたユダヤ人精神科医のヴィクトール・フランクルの事例。

ある日のこと、フランクルは裸にされ、小さな独房に入れられた。ここで彼は、ナチスの兵士たちも結成て奪うことのできない自由、後に「人間の最後の自由」と自ら名づける自由を発見する。たしかに収容所の看守たちはフランクルが身を置く環境を支配し、彼の身体をどうにもできた。しかしフランクル自身は、どのような目にあっても、自分の状況を観察者として見ることができたのだ。彼のアイデンティティは少しも傷ついていなかった。何が起ころうとも、それが自分に与える影響を自分自身の中で選択することができたのだ。自分の身に起こること、すなわち受ける刺激と、それに対する反応との間には、反応を選択する自由もしくは能力があった。

収容の中で、フランクルはほかの状況を思い描いていた。たとえば、収容所から解放され大学で講義している場面だ。拷問を受けている最中に学んだ教訓を学生たちに話している自分の姿を想像した。
知性、感情、道徳観、記憶と創造力を生かすことで、彼は小さな自由の芽を伸ばしていき、それはやがて、ナチスの看守たちが持っていた自由よりも大きな自由に成長する。看守たちには行動の自由があったし、自由に選べる選択肢もはるかに多かった。しかしフランクルが持つに至った自由は彼らの自由よりも大きかったのだ。それは彼の内面にある能力、すなわち反応を選択する自由である。彼は他の収容者たちに希望を与えた。看守の中にさえ、彼に感化された者もいた。彼がいたから、人々は苦難の中で生きる意味を見出し、収容所という極端な環境にあっても尊厳を保つことができたのである。
想像を絶する過酷な状況の中で、フランクルは人間だけが授かった自覚という能力を働かせ、人間の本質を支える基本的な原則を発見した。それは、刺激と反応の間には選択の自由がある、という原則である。
選択の自由の中にこそ、人間だけが授かり、人間たらしめる四つの能力(自覚・想像・良心・意志)がある。自覚は自分自身を客観的に見つめる能力だ。想像は、現実を超えた状況を頭の中に生み出す能力である。良心は、心の奥底で善悪を区別し、自分の行動を導く原則を意識し、自分の考えと行動がその原則と一致しているかどうかを判断する能力である。そして意志は、ほかのさまざまな影響に縛られずに、自覚に基づいて行動する能力である。

※7つの習慣(スティーブン・R・コヴィー著)より

話してくださった内容は上記の原文をかみ砕いて伝えて頂けたので、空の概念ともリンクし「人はどんな状況下でも幸せを選択する自由がある=幸せと思えば幸せである」と言うことにきずかされました。

と言うことは、選択の自由はあっても、地位や名誉やお金などを得ないと幸せを感じないようではダメで、「幸せを感じる感性」を育てていかないと、幸せを感じ幸せと思えないな・・・と、対話が盛り上がっていきました。

で、最終に結論めいた話になりました。

結論めいたもの「幸せとは?」

つまるところ「今ここにある日常」が幸せなんだと。

朝、目が覚めて今日も生きている~あ~~幸せ♪
ベッドから立ち上がれて歩ける~あ~~幸せ♪
会社についたら自分のデスクがある~あ~~幸せ♪
ランチの天ぷらそばが美味しくて~あ~~幸せ♪
夜の呑み会で酔いつぶれて~あ~~幸せ♪(笑)

「今ここにある日常」に感謝します!

すべてはうまくいっている!

あなたも天才!

わたしも天才!

みんな天才!

これでいいのだ!

ありがとうございます(^^)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?