ゲームセンターの思い出

はじめに

前回ポケモンの事をつらつら書かせもらいました。
自分の記憶をたどって、思い出しては懐かしくなり、自分で忘れない為でもありますかね・・・、書いていて楽しかったです。
今回は何を書こうかなと考えておりましたが、今回はゲーム好きな僕がゲーセンで遊んできた、遊んでいるゲームについて勝手に語ろうと思います。




ゲーセンとの出会い

そもそも皆様はゲーセンにどうやってたどり着きます???
僕の場合は小学生時代、休日に母親とイトー○ーカドーに買い物に行ったときに買い物の邪魔だからここで遊んでなさいと言われ置き去りにされたゲームコーナーがそうでした。

当時そこのゲームコーナーは100円入れて遊ぶ格ゲーやクレーンゲーム(クレゲ)は一切なく純粋にメダルゲームのみを取り扱っていました。
ただメダルって思ってるより高いですよね、当時の記憶ですが100円で20枚とかだった記憶あります、もっと少なかったかも・・・。

まあその時にメダルゲームにはまる事は無かったですが、幼稚園から家庭用ゲーム(当時はファミコンで星のカービィ夢の泉の物語とスーファミが出た頃だったのでスーパーマリオワールドとかマリオカートをやってました)で遊んでる筋金入りのゲーマーだったのでゲームセンターという存在に足してはとても前向き(ゲーセンに前向きってなんやねん)でした。


そして同イ○ーヨーカドーのゲーセンで彼に会います、前回のポケモンの記事でたくさん出てきた友人S君です。
彼のご両親は買い物ついでにメダルゲームでよく遊んでいた様で、もちろんメダルの増やし方等も子供とは違います、何とメダルバンクに大量にメダルを預けているのです。
僕は度肝を抜かれましたね、S君のパンパンになったメダルカップ(メダルを入れるカップ、パンパンで400枚近く入ると思われる)を見て。
そして彼はどこまでも優しい、一緒に遊ぼうといってメダルを分けてくれたのです。


彼のご両親にもとても迷惑かけていました、めちゃくちゃ頻繁に彼の家にお邪魔してはぎゃーぎゃー遊んでましたからね、当時は僕の様なクソガキが毎日のようにおうちにお邪魔してしまい大変ご迷惑をお掛け致しました、当時優しく対応してくれたこともあって今の僕があります、本当にありがとうございます。


友人のご両親への贖罪で少し脱線しました、ゲーセンの出会いとしてはこんな感じです、ゲーセンとかメダルゲームである、当時の僕の印象です。





格闘ゲームとの出会い

僕は小学3~4年の時に水泳を習っておりました。
通っていたスイミングスクールでは人並みに泳げるレベルからジュニアオリンピックを目指すレベルまでクラスが分かれている様なスクールで毎週末記録会(朝早くからやる進級試験の様な物、いわゆる初心者コースは20段階くらいあるけどちゃんと泳げているかはしっかり審査される、合格の基準はタイムと変な泳ぎになっていないか)
20段階くらいある初心者コースをクリアすると選手コースというクラスに行き、そこで水泳選手を目指すようなカリキュラムに励むことになります。

小学生ってすごいんです、体力無尽蔵にあるのかってくらい、もう少し早く始めていれば僕もオリンピック出れてたかもしれない・・・。
ちなみに初心者コース最後の試験は100Mメドレーです、バタフライ→背泳ぎ→平泳ぎ→自由形を25Mずつ、合格タイムは覚えてないけど小学生の腕力でバタフライがきつかったのはよく覚えています。


そしてこのスクールは夏と冬に合宿があります、僕はこのスクール知り合いもいないしコーチに「遊びじゃねえんだ」とビンタされたりと結構トラウマです、今じゃ絶対ありえないけどガチでビンタされてましたし、合宿の最終日に結構長い距離泳がされるんですが、3000M自由形(途中で足着いたらやり直しだからと脅されてました)とか400Mメドレーとか、これマジな話ですがガチで泣きながら泳いでました、ゴーグルの中涙でいっぱい笑

この経験のおかげで水泳で困る事は無かったです、身体も凄くて小学生ながら細マッチョでした、そらあんだけ運動したらな・・・今の僕ならPFCバランス計算して食事も考えてってやりたくなる。


余計な話が多いんですが、この合宿先で格闘ゲームに出会います、ゲームは「マーブル・スーパーヒーローズvsストリートファイター」です。
SFシリーズの派生というべき作品でしょうか、本編シリーズよりも必殺技等が派手になっていてSFではないエアリアルコンボ等がある格ゲーですね。

当時の宿泊先の一角にあったゲームコーナーに置いてあったんだと思います、合宿に来てたお兄ちゃんがやってるのを横で見ていると「やってみるか?」とやらせてくれたのを覚えています。
当然レバーでゲームするのも初めてですし、格闘ゲームが初めてですからガチャガチャやってた記憶がありますけど、そのお兄ちゃんが色々教えてくれたおかげで格ゲーって面白い!ってなりました。
※その後ここで出会ったお兄ちゃんがきっかけで年上の顔なじみが出来てこの合宿を乗り切れました、感謝しかない


ただ僕は当時このゲームがなんてタイトルだったかとか、そういう事は全然わからずゲームの内容だけは覚えてるけど・・・またやりたいな的な状態に陥ります、ビジュアルとかもそんなに鮮明に覚えてなかったからかな。



自分でゲーセンに行く

時は流れてカードゲームが学校では流行っていました。
今まで遊んだカードゲームは、ポケモンカードと遊戯王カードです。
記憶を頼りに色々調べたりしましたが、小学5年生の2000年に「遊戯王デュエルモンスターズ4」というゲームが出ます。
僕の中では遊戯王真っ最中で、学校内でも結構流行っていました。
小5ともなると少し悪さする奴、悪こそ正義みたいなやつが出てくるわけですね、でもほんと付き合う奴は選ばないとってのは経験上本当にその通りです。
僕も小5小6はちょっと荒れてる時期、正確には荒れてはいないのですが付き合う友達の素行が悪ければ自然と僕の素行も悪くなるなってった訳です。


まあ素行が悪くなりつつあった時に、カードショップに行ってみようぜと言い出す友達がいた為、何人かで自転車で30分くらいかけていった事を覚えています。
今でこそポケモンカードの転売が横行しYoutuberが高額カードを嬉々として動画にして海外のカード鑑定で最高得点のカードが数十万数百万で取引されてる時代ですから珍しくも無いですが、当時カードショップって小ぢんまりして個人の怪しいおじさんが営業してる薄暗くてドンキみたいに雑多に物が置いてあるお店でした、しかも店舗も少ない
ぶっちゃけネットもまだ普及していなかった時代(LANケーブルを電話線に刺して接続します、ダイアルアップ接続と呼ばれる)ですからね、カードの価格だって子供相手ならおじさんの気分次第と言っても過言ではありませんね。

そのカードショップにいった時にいった事の無いゲームセンターに入ります、ここで僕はあの格ゲーに出会います。

「マーブル・スーパーヒーローズvsストリートファイター」(マブスト)です。

嬉しかったですねー、このゲーム探してたんだ!!!って感情でした笑
一人で50円入れてやる初めての格闘ゲームです、もちろんガチャガチャやるだけですが、CPU相手に一喜一憂してゲームを楽しんでましたね。

このゲームはとても好きで見つけるまでにストリートファイターZERO等の本編作品にも出会うのですが、演出の地味さからかあまりはまりませんでした。

結局この出会いの後、家庭用のマブストを買います、友人T君の家でよくやってたのを覚えています。



ギルティギアとの出会い

時は流れ中学生になりました、インターネットが普及してきてダイヤルアップ回線からADSL回線等にうつってきましたね。
ケータイもガラケーが結構普及してましたがまだパケホーダイは無かった気がします、ゲームのやりすぎで高額請求(といっても1万くらいだが)されて親に怒られたのはいい思い出です。

インターネットではFLASH全盛期、ドラサイトとかいろんなFLASHサイトがありました。
ガッツリ見てましたね、今も同世代の友達と飲むと最終的にそこら辺の話になって大いに盛り上がります、僕らはこれをインターネット老人会と呼んでます笑

そしてとあるサイトにたどり着きます、サイト名等は覚えていないのですが、内容は格闘ゲーム「ギルティギア」(GG)のコンボを曲に合わせて編集してMADにしたものを公開していました。
このサイトに出会い当時の割と新しいJ-POPとGGに出会います。
当時GGは#RELOADが最新版でした、いわゆる青リロですね。
僕はPS2を持っていなかったので遊ぶためにはゲーセンにいくしかありませんでした、勇気をもってゲーセンに行ってみましたが当時のゲーセンは薄暗くてたばこ臭くてチンピラの集まる場所みたいなイメージ(チンピラはいないけど他は大体あってる)です。
実際に入って誰もやっていない青リロに触りましたが、対面に座られ乱入されてボコられてました笑

練習したくても出来ない、そんな環境でしたのでもっぱら動画勢でしたね、知識だけで頭でっかちなかんじです。

のちに友人T君がイスカという4人対戦できるGGを購入します、コレジャナイ感もありましたが、あれはあれで面白かったかな笑

後にブレイブルー(BB)とかも始めますが、なかなかセンスが無いのか上達は見込めませんでしたね、まあ熱意とかも足りなかったし圧倒的に練習量が足りてないので勝てるわけはないのですが。




音ゲーとの出会い

時は流れ高校生、あのゲームに手を出します。

リズムゲームです。


始めてやったのはドラムマニアの10thだったかなぁ、三毛猫ロックのベーシックに蹂躙されました笑

あの何もできない感、今でも覚えています。
僕の場合は周りにやってる人いなかったのかな、一人でやってみたいなーでも怖いなーって散々悩んで人がいないタイミングでやってしまえ!ということでやったので、ハイスピの概念だとか詐欺だとかの概念も無く、まあアドバイスしてくれる友人がいなかったのでね。

その後ドラムマニアではなくギターフリークスに傾倒していきます、BeforUのヒマワリが大好きでした。

ⅤとかⅤ2はとてもやりました、まあ独学だったりセンスもあってかなかなか上達はしなかったですが、スキルは紫ネームくらいだった気がします。

リズムゲームは高校生で触れてから機種は色々と跨ぎますが割と近年に至るまでやっていました。

そして高校3年くらいの時ですかね、ガンダムの対戦ゲームである「ガンダムSEED 連合vsZAFTⅡ」に出会います。
当時SEEDこそ見てましたがガンダムに対してそこまで傾倒していなかったのですが、好きなコンテンツ×好きなコンテンツ=∞みたいなノリですかね、このゲームにめちゃくちゃはまります。

自分から色々な情報を集めるために秋葉原のゲーセンに赴いたりもしました、1フロア連ザ2のフロアがあるくらい当時は流行っていて稼働もマックスでしたね、その中に入って行ってつわもの達と勝負していました。

2on2のゲームで当時はまだオンラインではなくローカルな為、ゲーム筐体が2台横並びで向かって反対側も同じ配置になっています、で2列で並んで前の2人が負けたら隣の人とチームを組んで相手と戦うカンジ、今じゃ絶対無理や笑笑
当時はコミュ力凄かったのかなぁ、隣の知らん人とすぐ打ち解けて会話して・・・で一緒にゲームすると。
結構やり込んでいたこともあり、何でも使えるしめっちゃ勝ててた記憶があります、これが若さか・・・。



クイッズマジックアカデミー

後、クイズマジックアカデミー(QMA、当時はQMAⅢ)にどちゃくそはまりました。
当時確か成績に応じてクラスがあがるのですがそんなにたくさんクラスが無かったので最上位のケルベロス帯までやりこんだ記憶があります。
これ面白いのが中学校で習った歴史とか高校で習った世界史のめっちゃマイナーなワードが出てきたりするんですよね、後同時に16人(12人だったかも?)くらいでやるのも面白かったですね、で最後4人で決着をつける。
このころにネットでコミュニティがありその人たちとオフ会で会ったりしてました、もちろん秋葉原です。
オフライン対戦したりオンラインを見守りながらやったり。


連ザもQMAも辞めたタイミングとかは全く覚えてないけど、おそらく受験とかかな?
受験後に再開した感じでもなかった気がします。





大学生になりました、ここからは時系列ではなく現在までにゲーセンで遊んだ主なゲームで書きます

・エクストリームバーサス(EXVS)
・リフレクビート
・ギターフリークス
・ビートマニア




エクストリームバーサス

EXVSシリーズは今もなお出続けており、僕は現役で遊んでいます。
所謂ゲーセンの猛者と戦うアケ勢と、アーケードで最新版がでてから何年後かに出る家庭用版で遊ぶ家庭用勢がいますが、僕は家庭用勢でした。


EXVSなのか次作のEXVSフルブースト(フルブ)か覚えていませんが、家庭用勢が周りに多かったので部屋立てて毎晩知らん人も交えて友達6,7人とやってました、友達の友達とかも来たりして結構なプレイ時間だったと思います。


そして後継作であるマキシブーストと挟んでマキシブーストON(マキオン)でついにゲーセンでのオンライン対戦が実装します。
ここから僕はまたゲーセンでこのゲームを遊び始めました、以降このゲームで永遠と下手の横好きを続けております笑
当時はガンダムAGE2を好んで使っていました、EXVS2からはずっとビルドストライクガンダムを使っています、昔みたいになんでも器用に使う事は出来ないですね、センスですかね。
そしてこれがほんと上手くならない、大体どの作品も勝率は50%です。
でも好きなコンテンツ×好きなコンテンツ=∞なんで、今もやってます。
いい年したおっさんがゲーセンでガンダムやるなと言われそうですけど、迷惑かけない程度にやっていきたいですね。




リフレクビートに夢中

僕はリフレクビートというのはKONAMIが出しているリズムゲームです、今はなんとサ終してしまっています、悲しい。

本格的にやりだしたのは2011年くらいか、無印が終わりに近づいたくらいだと記憶してます。
やりだした頃はsakura reflection(僕の中ではこのゲームと言えばこの曲ってくらいお気に入りの1曲、ジャケ絵曲難易度全てバランスがいい)に苦戦するくらいの腕前でしたが、腕前最盛期にはこれをオールパーフェクトでクリアできるくらいになります。
メインでプレイしていたのは2作目のlimelightからです、ここから収録曲も爆発的に増えます、他ゲーとのコラボ(曲移植イベントがあると他ゲーのプレイヤーも解禁のためにリフレクを遊んだりして盛り上がります)も結構行われ、曲の難易度も飛躍的に上がっていきました。

そしてこのゲームは筐体自体が加圧式液晶ディスプレイでしたので、iPadの様なタブレット端末との相性が非常によかったので、僕は家で練習用にiPad2を購入します、これを死ぬほどやり込みます。
大学生4年生当時同じ研究室にいた友人A君がかなり熱心にリフレクビートをやっていて(メインはbeatmaniaIIDXだというから驚きだ)実力が非常に拮抗していたこともありお互い切磋琢磨できました、こういう環境がモチベ維持にも非常に大事というかいいですよね。。
この時2人でやっていたのはレベル10(当時の最高レベル)の曲で達成度AAA+を出す(達成率の計算式は省くが最高100%に対し95%以上がAAA+判定となる)事です。
本当に熱中してて毎晩2時間くらいリトライを繰り返してやってました、調子がいい時は明け方まで永遠とやってましたねー・・・。
DEAD LOCKという難しめの曲があるのですが、とても調子のいい日があって明け方までやり続けて95%でAAA+のフルコンボした時の感動は今でも覚えてます。
当時の最高難易度クラスの曲でしたが、このおかげで好きになりましたね。
この曲ですら達成率は最終的に99%とか出せるようになってました、仕上がってますねぇ。
そしてこのゲームのコミュニティにオンラインゲーム仲間経由で参加します、このコミュニティは群馬に主に生息していたため、僕は車でよく群馬まで足を運んでました(多分月1とかで行ってたと思われる)

都内在住だったのですが風営法でゲーセンが22:50には閉まってしまうのだが群馬はなんか24時間やってるとこが結構あったので、仲のいい子と朝からゲーセンにいると続々と身内みたいな人たちが集まってきて夜には結構な大所帯になってました、で夜中に帰ると。

大学生とかの時って24時間が短く感じたけど、夜中の時間も使っても短かったんだなって、今じゃ朝起きて仕事いって帰ってきたら19時とかで自由な時間なんて2,3時間しかないのに1日が長く感じたりするけど。

非公式な大会なんかにも参加しました、会場は立川オスロー5号店(オス5)だったのは覚えていますが詳細には覚えていません、大会終了後には飲み屋を貸し切って宴が開かれてましたが僕はここで初めて酔いつぶれて二日酔いを体験します、というかもう飲んでる最中から気持ち悪くて家に帰りついた記憶が無かったです笑

楽しい楽しいリフレク人生が曇ったのは次作へのアップデートが行われた時、ゲームってのは既存のシステムを維持するだけでは飽きられてしまうということで新規に色々な要素が追加されました。
そこで信じられないくらい一気にやる気が無くなります、不思議だ。
その頃には社会人になっていた影響もありそうですね。




同時並行でギターフリークスにも夢中

高校生で触ったギタフリはリフレクより長くやってました、ただ密度的にはリフレクの方が圧倒的に濃かったですね。
ギタフリは浅く触ってて10thからはじまりV8まで、XGに移行してXG2、XG3、GITADORA、OD、TBとよく考えたらずっと触ってますね笑
リフレクとギタドラを交互にやってる感じでした、まあ息抜き的な感じですがODくらいでスキルネームはもうすぐ銅ネームの赤グラでしたね。
ただ運指オルタが一切できなかったので限界は見えてました、出来なくても金ネに届くという話も耳には入ってきてましたが、修羅の道だったんじゃないかなと思います。
ギタフリは町田によくやりに行ってました、当時通ってたゲーセンはキャッツアイというゲーセンです、今はない。

Vシリーズはギターとドラムのセットで4,5セットくらい置いてあった気がします、全国大会の会場になるくらい設備の整ったゲーセンでした。
この頃よく絡んでいたのは友人R君(HN)とC君(HN)です、二人とはオンラインゲームで出会いますが生息地が近所であり年齢も近い事もあってかオフでもよく会う事になります、今でも繋がりがあり定期的にごはんに行く仲です。

C君はゲーセンではクレゲをやるタイプの子なのですが、R君とかゲームの趣向が合い一緒に音ゲーを嗜んでいました。

主に活動場所は八王子と町田と立川でした、当時は個人経営のゲームセンターがたくさんあったのですが、もうほとんどなくなってしまいましたね・・・当時通っていたのは八王子だとUFO・憩・とまと・セントラル、立川だとUFO・オス5、町田はキャッツアイ

特に思い入れが強いのはUFO八王子店ですかね、ここにはホントお世話になった。


GITADORAになる頃には社会人だった気がします、大学時代の友人S君と一緒にひなビタの聖地巡礼をしに鳥取まで行ったりもしました、行動力すげーーー

後、時系列めちゃくちゃですが、確かXGの時に公式のライブイベント行きました、下北沢のライブハウスでやってたと思います。
10,000,000,000(テンビリ)を生で聴けて感動した思い出、そこで20人限定で限定デザインのe-passが貰えたのですがなんと当たりました笑

やってた時期が長かったこともあり思い出は豊富ですね、今でもたまーーーーーーにプレイします、7くらいのレベルまではクリアだけなら出来ます、身体にしみついていやがる・・・





beatmaniaIIDXにはまる

最終的にこれにはまります、リフレクビートをプレイしていた時にエンジョイ勢としてやっていたんですが、大学時代の友人A君の影響で再熱して、現スプラトゥーン仲間のI君ががっちりやっていたのでその影響もあり。
I君とは大学時代にスマホゲーのオフ会で1度会ったことがあり、Twitter上でたまにリプ飛ばすくらいの仲だったんですが、会ってから5年後くらいに無印スプラトゥーン(今と違って4人いないとチームプレイが出来なかった)を一緒にやらないかと声を掛けられて以降の付き合いです。
そのたまに飛ばすリプが音ゲーの話題でした、他ゲーの小さな繋がりが音ゲーでつなぎ留められて今こうしてがっつり絡んでいるんですから、不思議ですよね。
まあ実力差は凄かったので彼のモチベ維持に僕が影響していたかはわかりませんが、僕は彼を目標として日々細々と腕を磨いていきます。

初めて触ったのはアケ版はGOLDで、家庭用は発売して間もなくHAPPY SKYを自分で購入してました、これ不思議笑

実際にしっかりやりだしたのはSPADAからか、シリウス・リゾアン・リンクル辺りはリフレクのコラボで少し触りましたがほぼやってないに等しいです。


ちなみにSPADA時代に音ゲーがある温泉宿こと「坐忘」に行脚しに2回ほど行っています、こういう行脚という名の旅行大好きでした、これは大学時代のバイトの後輩のM君と一緒に行っています、彼とは先日3年ぶりくらいに飲みました、縁が切れない様に会えればなと思います。

このゲームには段位認定とかそういう目標に向かってプレイする以外にも行脚システムというのがあります、何県でプレイしたよ!っていう実績ですね。

I君とはニコニコ動画のとある行脚動画を観てやってみたくなり二人で四国一周行脚を慣行したりしました、車ではビーマニのサントラを永遠と流すという何というか音ゲーマーだったら楽しさが伝わるんではないかなと思います、楽しかったです。

彼が愛知に住んでいるので彼の家を拠点に三重とか岐阜とかの行脚もしました、その時食べた岐阜タンメンというラーメン屋がものすごく美味しかったのは今でも記憶に残っています、皆さまも近く立ち寄った時は是非。


実際の腕前はというとまあ万年七段でした笑
一回だけ八段いったんですが、次作ではなれず・・・ちなみにギガデリ(八段試験のボス)は大好きな曲です、めっちゃかっこいいよね。

でも12の曲もクリアできたし、もう少し早くから始めてればなーというのが感想です、結局社会人になった事もありやめてしまいましたね、反射神経の衰えとかも始まってましたし。

それでもゲームBGMとしてのレベルはどれも高かったと思います、今でも色々聞き返したりして思い出にふけったりもします。


晩年ではI君とは有名プレイヤーさんの配信を観ながらスカイプで音ゲー談義をしたりと、プレイをしなくても話題に事欠かない、betamaniaは僕にとってはそんな作品でした。






そんなこんなで音ゲーを完全引退したのがつい5年ほど前、いまでもEXVSの最新作をやりにゲーセンには足を運びますが、まあいいとこ月に2,3回でしょうかね。
僕の場合イライラしてもちょっとコーヒー飲みながらゲーセンでガンダムやればスッキリする様なタイプなんで、奥さんもゲーセン通いは黙認してくれてる感があります、ストレス発散の方法は人それぞれだもんね。

ゲーセンでゲームしてるとか子供か?って思われがちですが、その中にもその人の思い出とか歴史がありますからね、一概にマイナスイメージで一蹴というのはどうかなと思います。
僕はゲーセンを通じて様々な出会いがあり、今こうして通わなくなった時にたくさんの繋がりが残ってくれています、マナーとかもたくさん学びました。
僕の場合は親切で常識的で良心のある人達に恵まれたと思います、ゲーセンで周りを気にせず喚き散らす子もいませんでしたし台パンする人もいませんでした。

音ゲーが好きというよりは音楽が好きというのが根底にあるんだと思います、だからゲームとしてみてた当初に比べ昨今では音楽の集合体としてみている節があったと思います(サントラを欠かさず買っていたのはそういう側面があったんだなーと改めて思いました)


今の時代スマホでゲームが出来てしまう為、ゲーセンの音ゲー人口は衰退する一方なんだと思いますが、今でも素晴らしい作品を各企業が努力して出していると思うと、また復帰してみようかななんて思ったりもしますがね・・・今度ゲーセンに行ったときは1クレ遊んでみようかなとこの記事を書きながら思ったりしました。

皆さんも思い出の作品があったら久しぶりにやってみてはいかがでしょうか。

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