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スカッ スッキリ 百閒カッター

『百鬼園随筆』 内田百閒 を読み終えて


夜、少しだけ本を読む

習慣ほどでもないし、毎日読まなければとも思ってない

今日はこれ読もっかなと、本棚から引っ張り出し読む

休みの日など少し読み進める量が多くなるが基本的にはゆっくり読む

そんな感じで他のものの合間にゆっくり読んでいたこちら、とうとう先々週読み切ってしまった

カバー装画
芥川龍之介

面白かったので感じたことなどまだ余韻のあるうちに読書記録として少しずつ書いた

つい笑ってしまう、悪い人やなぁ、意地悪なこと言うなぁ、細かいとこ見てるなぁ(でもめっちゃわかる)、それそこまで細かく書かなあかんかった?といういろんな面白さに満ちている

この人は、何を言わんとして書いていたのだろうとかなどはどうでもええかなとさえ思えてくる

特殊なようで、シンプルな“素”の世界のような

不謹慎だったり『今の世では受け入れがたし』な言い回しなども多々あり、まぁ自由だ

綺麗事ばっかりではない世の中を痛烈に批判し斬ったかと思うと、ニヤニヤ面白がりながら悠々と泳いでいるような、賢さゆえにふざけちゃう人

魅力的な人

いついかなる時も、誰に対してもいついかなる時も毒吐かない、悪口言わない、愚痴をこぼさない、弱音を吐かないなど、どれをとっても私には非常に味のないつまらない、興味をそそらない要素である

ちょっと鈍い人なのかしら?防衛本能とかあるのかしら?色々大丈夫なのかしら?と心配に思い、いつも明るく前向き!などは恐怖さえ感じる

余計なお世話だし、本当に偏った考え方だと思うが、そういうたちなので仕方がないし惹かれてしまったらもうおしまい

作家や脚本家、音楽など食べていくためには売れなくてはいけないので今の世の中やあらゆるタイプの読者を意識するのが当たり前だと思うけれど、あまりにも綺麗で引っかかりのないものは考えや思いを巡らせたり広げる事が出来ないし、普段使わない心の部分に触れてはくれない

子どもの頃の話などは淡々と書かれているように思うが、お金の事─借金の美学みたいなのとか、お金そのものの概念というか─、人との付き合い、お仕事の場面(学生とのやり取りなど)などこんな風に出来たら身軽でさぞかし楽しかろうと思う反面、こんな人が近くにいたら絶対に関わりたくないなと思ったり、そのハチャメチャに翻弄され混ぜっ返される人の様子をそばでそっと見てみたい

たまにシンプルすぎるくらい人情味の強い話もあり、ひとり振り回されたような心地のあとたちまち心を掴まれてしまう

少し斜に構えたような皮肉やからかいを含めてつらつらと書かれる文章は本当か嘘か、勉強になるのかならないのかわからない、暑さとか寒さとか、裕福か貧しいかとかそんな事はどうでも良いような気さえしてくる

素直とかとも違うし、浮世離れしているとか常識外れ(ややありますが)とか知っている言葉では言い表わせない、全然理解できないようなはたまたすごくわかるような、そんな感じ

私はこういう人、こういうちょっと真っ直ぐではない感じにどうしても惹かれてしまう

小説、『阿呆の鳥飼』(は、これにも入っている)、『冥途』ももう一回読もうと思いながら、ふらり入った書店で『第一阿房列車』を買う

先日ふとした事からうっかり絶望を感じてしまったので『カフカ断片集』も買う

今の私は良くも悪くも情報量が多すぎるのかもしれない

情緒が定まらないが、夏はキラキラ、ギラギラしているのでキャパシティを超える心の揺れには抗うことなく身を任せる

そのためにもこの2冊は必要不可欠な気がした

夏休みもあるのでゆっくり読もう

『百鬼園随筆』を読み終えた、ひとりごとのような今の心持ち

ホント、面白いです



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