自責はダメなこと?
この記事は、自分を約20年間責め続けた一人の大人が自責についてただ語ります。
結論から話すと自責して「気づき」があったから
自責は無駄ではなかったと思う。
「自分を責める」
それほど無価値なものはないと周りには散々言われた。
もちろん私もそう思っていた。
しかし、呼吸のように気づけば自分を責めていた。
眠りにつく時、学校に行けなかった時、仕事が苦しくて休みがちだった時。とにかく誰かに怒られるような恐怖心が付きまとっていた。誰も責めてない現実を生きているのに。
ある日、私は何のために自責をしているのか考えた。
結論は周りと比べて「普通」を通ってなかったから。
普通が結構つらい。普通って何だろう?誰がこのイメージを作り上げたんだろう?
でも、みんなの無理は大体できた。
自責もそう。こんなに責めて生きてきた自分、ある意味で化け物。
ダイエットで考えると分かりやすい。
続かないものランキング年間、いや、生涯トップに君臨し続けるアレの精神的苦痛バージョンをやり続けているようなもの。
苦痛を自ら作り出し、実行する。
自分はダイエットより自責で痩せた。もとより痩せているが、骨じゃんみたいな時期もあり。
胃の痛みや、不眠症が主な原因で。笑
ならその習慣を20年もできたんなら
もうポジティブにスキルアップできるような習慣にしちまえよ!!
私の自責は唐突に終結した。
ただ視野が狭かった。といえばそうだけど物の見方を知らなかっただけ。
自責という商品の隅に小さく「向き合い過ぎないで下さい」と書かれていた。脳内にあるから自分で気づかなければ生涯悩まされる粗悪品。
返品相手も謎。全く誰だよこんなもの頭の中に置いといやつ。
自分を責めきり、体も心も一回壊して気づいた。
自分はたった一回で気づいて、それを習慣の糧として応用することもできた。忍耐の末に掴んだ意味。
ルービックキューブの面を揃えるような複雑でストレスの溜まるこの自責という習慣はやっぱりつらいししんどかったな〜。
今なおその習慣と向き合ってる人がいるとしたら、一回その粗悪品を色んな角度から見てみたほうがいいかも、もしかしたら少し楽になれる事が書いてあるんじゃないかな。
自責が苦とも思わない人もいるかもだし、一概に楽とはいえないかー。
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