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耳が痛い

夜中にブログサーフィンしていて耳が痛いことを2つ発見しました。

まず1つ目は、興味のある分野であるICT4Dのサイトの記事です。

「専門家」「コンサルタント」「技術支援」といった名目でやってくる多くの外国人こそが、アフリカ政府が停滞している理由の主要な理由の一つなのではと思うようになった。” シエラレオネ政府のChief Innovation Officerに任命されたDavid Moinina Sengeh氏
実際はほとんどの「big data analytics」 や「system architecture」や「innovation」の専門家と自称する人たちは、自分でコードを書いたこともなく、ブロックチェーンのアフリカへの活用について語っているのだ。
開発パートナーたちよ、政府に本当に貢献できるような適切な専門家を雇用して欲しい。ITで言えば、公共政策の学位を持つ人だけではなく、コンピュータ科学の学位とコーディング経験などがある人のことだ。私の感覚では、多くの「専門家」は他国で使ったコードをコピペするだけで付加価値を提供している気になっているように感じる。

これはごもっともではある。実際、日本から関わる開発業界の専門家はITエンジニアやプログラマーというよりも、IT営業などを経験したことがある開発業界にいる人間であることが多いように思える。今から日本の就職において、コンピューターサイエンスの学位とか、コーディングするようになる必要があるかと言えば、現状ないし、かといってその面で、相手(途上国政府)が求めるような専門家ではないし。

いつか獲得したいスキルであるコーディング、ひいてはプログラミング。社会人1カ月目の研修でHPを1週間で作らされたけど、結局ブレイクスルーしたのは提出残り2日の時で、簡単と思えたはずが、必要に駆られないと自分で作る気にもならず。。仕事で、コードを確認するときも、何となくでやっていて、やはり営業だからっていうので、制作の人に確認するよね。という言い訳してた。

技術が分かる人・できる人ならそっちのほうの研究でも、良いけど、できなかったら、こっちねと言われたけど、技術のわかる人で出来る研究ってどんなんやと考えるとあまり面白くなさそう(わかる人がする研究をきちんと探していないはず!)なので、まあいいやというので今の姿であります。



2つ目は、とある京大の先生のサイトから引用します。

https://s-shinomoto.com/students.html


大学院生に求められる能力

人のメッセージを正確にとらえ,自分のメッセージを人に正確に伝える
「メッセージを正確にとらえる」こと                 研究ミーティングでは,報告を受けて議論し,次にやってくることを決めます.次回のミーティングで,前回決めたことをやらずに,全く別のことを報告する人がいます.意外に思うかもしれませんが,これは例外的ではなく,大学院入学時点では大部分の人にそういう傾向があります.決めたことをやった上に自分の考察や解析を加えるというのは申し分ないのですが,そうではなく,やると決めたことをやってこないのです.なぜ決めたことをやってこないかというと,「人のメッセージを正確にとらえて」いないのが原因だと思います.
そうやって学生が勝手にやってきたことで意味があったことはまずありません.なぜこんな奇妙なことをするのか不思議に思って聞くと,「決めたことがうまくいきそうにないと感じたから(自分の判断で)これをやってみました」というのです.昔ぼくはこういう返答を聞くと,その人はやる気がないからこういう言い訳をしているのだろう,と思っていたのですが,どうやら本気でそう思っているらしいということがわかってきました.こういうケースは繊細な体質の人が多いように思えます.これらのケースに共通しているのは,前回やった議論を復唱せずに,いきなり自分のやってきたことを話し始めることです.前回の議論が今回の議論に全く反映されていないので,再びもとの位置に戻って始めなければならず,この期間が無意味になります.これを何度となく繰り返し,なかなか仕事が進みません.

私の先生が書いたのかと思うぐらい、私のことを言われているようで、身につまされます。全部自分の言ったことに従う学生は気持ち悪いんや~と言っていたことをそのまま受け止め、何かオリジナルなことをしようとしているうちに、逸れに逸れていったものをみせにいくという暴挙に出て、いつも困らせてしまうという。

意外に多くの学生が,「自分の判断で行動しなければいけない」という強迫観念に駆られて消耗しているように思えます.そのいっぽうで,人の動きを常に気にして「空気を読む」ことに明け暮れている.これらは一見して逆のように思えますが,実はおなじメカニズムのように思えます.この分析をすればおもしろいと思いますが,ここでは主題ではないのでやめておきます.いづれにせよ,どちらも無駄な苦労だと思います.
守・破・離」という言葉があります.物事に上達するプロセスを,学びの段階,洗練の段階,独自の境地の段階に分けるこの考え方は川上不白という江戸時代の茶匠が記したものだそうですが,学問にも通じるものです.
大学院時代というのを「守」すなわち学びの場と割り切って,ひたすら学んでは如何でしょう.そもそも「オリジナリティ」とかいう言葉を振りまく人に限って,今はこんなことが流行っているらしいとか,別のグループではこんなことをやっているとか,つねにまわりを気にしているように見える.ぼくの知り合いにはずば抜けた頭脳や真のオリジナリティの持ち主がたくさんいますが,そういう人はむしろそんなことには無頓着です.

何度も、僕の言ったことの80%でいいからやってみて、とか、すごい人は言ったことを120%にして持ってくるんや~とかを聞いてその時はわかったつもりでいるけど、いつも空回り。言われたことの100%をできるようにして、80%に到達できていれば合格ということを自分に言い聞かせて大学院のうちは学ばせてもらわないと、迷子になってしまう。


この先生のサイトにはきっとほかにも、私の先生が思っていることが書いているはずなので、さらってみます。

このサイトには定期的に巡り合います。今回は「研究 どの大学院」で検索したところ、4つ目に出てきました。今の大学院で続けていていいのかな~と考えていたところ、でした。

たぶん大学院は変えなくていいし、指導教員も変えなくていい。


ICT4Dも変えなくていい。ここ10年が面白いらしく、私もそう思います。実務より、面白いものを見て論文を書いているほうがいいのではないかとも思えてきました。


その場合、無駄に渡航するのは賢くない

では、ICT4Dの実務に応募するのはどうか?

良い案ではあるが、果たして受かるのか。きびしい。10日後の応募締切が迫っている。

とりあえず今日は、応募することに決心がつきました。それと同じぐらい研究もやりたい。

→まだ学生なの研究できます!!


ここまで来られた方、お読みいただきありがとうございました。

引用部分が多すぎて、



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