自分を認めること

私は人を好きになるということが少ない。

恋愛感情というものが、おそらく欠如している。

異性だとか同性だとか関係なく、人に興味を持つことが極端に少ない。

思春期辺りになってくると、周りは完全恋愛モード突入。

恋人を作りたいと騒ぐ友人達の話の輪に入り切ることができなかった。

地味に私のコンプレックス。

20代後半に差し掛かると、結婚だ云々と騒ぎ出し、また私は置いていかれる。

無理矢理人を好きになればなんとかなるんじゃないかと思って、この人が好きなんだ、と思い込んで生活した時期もある。

ただ自分の恋愛感情が育ってないだけだと思って色々挑戦してみたが、全部だめだった。

どうやっても皆のように「恋愛したい」という感情は生まれなかった。

最近になって、LGBTQやらなんやらという言葉が流行ってきて、そういう情報が増えてきて、自分の恋愛感情の無さもなんとなく腑に落ちた。

でも、やっぱり人を好きになれないってなんかなーなんて思ったりはしてて。

正しく言えば、人を好きにはなるけどそれがちゃんとした好きかどうかはわからないから、逆に相手に申し訳ないよなぁなんて思ったりして。

だから私は人に「好き」なんて伝えることはない人生を送る確率が高いと思ってた。

そうは言っても、恋愛感情が無いだけで人のことは人として好きになるわけで。

恋愛感情としての好き、だとか、友達として好き、だとかそういう分類がないというのが私の中身なんだろうと漠然と思う。

ただ、その人のことを好きという感情だけ。

だから、異性だとか同性だとか私みたいに恋愛感情が無いだとかそういう色々なことは抜きにして、好きになるんだよなぁ。

その人が好きだから、ただ好きなんであって、それが恋愛やら友情やらなんてどうでも良いんだよね。

その恋愛やら友情やらっていうのが多分私には理解できなくて、好きなら好きだし、興味ないなら興味ない、それだけでしょっていう話。

大切な人についうっかり甘えで言った「大好き」という言葉な対する相手の反応が良かったということにより、そういう自分自身の認められていなかった部分が改めて見えてきて、あー別にそれって悪くないんだなと思わされた。

恋愛感情がわからないことで「好き」という言葉にものすごい壁を感じていたんだろう。

でも別に、人間として好きなのは好きだし、相手がどうこうとか関係なく、私がその人のことを好きであって、その人が幸せになる手伝いができるなら、それが私も幸せなんだよなぁと。

そう考えると、私って恋愛感情無くて良かったなぁとまで思ってしまう。

これがもし恋愛感情だったとしたら、きっといつも一緒にいたいだとか、手を繋ぎたいだとか、デートしたいだとかそういう感情に飲み込まれてしまって、うまくいかなかったとなると凹んでしまうから。

ただ「好き」という感情がそこにあるだけだから、それが友情的なやつでもなんでも問題ないわけで。

友達として好き、で全然幸せになれると思うと、私のこの特性はむしろ良かったんだと思えたんだ。

それは別に誰を好きになっても良い訳だよ。

皆が悩む、恋愛的な云々が無いから、何の壁も無いんだ。

そうやって考えたら、ずーっとコンプレックスだった私のこの感情も、少し認められた。

だから大切な人に「大好き」って伝えて心が少し落ち着いたんだろう。

人に好きって伝えることで、自分のことが好きになれるってなかなか良い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?