3月2日

「卒業生、退場」
昨日俺は、通っていた学校を卒業した。
長かったような短かったような3年間だ。
3年間、俺は大人が求めるいい子でいられるように努力して、努力して、努力して。
反抗することなど一度もなかった。
矛盾することも躊躇することも怒られてしまうから、考える事をやめて、大人の言う事に従った。
自分の意に反する事だって、大人がそうしろと言うならそうした。苦しかった。
だから痛い、辛いって自分の代わりに歌ってくれる音楽にのめり込んだ。 

スーツを着た校長はあなたの人生はあなた次第だとか、中身のない話を偉そうに語った。
「こうしなさい、あぁしなさい。私は、あなたのためを思って言っているのよ。」
あなたのためという言葉で散々縛りつけておいて、考えることすら許さなかったくせに、卒業したら、自分で考えて生きろって意味わかんねぇよ。

そんなに言うなら、望み通り自分で生きてやる。

手始めに今まで聞かなかった明るい曲を聴き始めた。もう縛られない、自分の意見をねじ曲げて苦しい思いをする事もない。本当は興味があったんだ。だけど俺みたいなのがって思って聞けずにいた。
それから、セクシャルを隠すのもやめた。
生物学上女として生まれてきたけれど、俺の性自認は男だった。ずっとずっと隠して生きてきた。でももう隠さない。隠す必要なんて無い。
習っていたピアノも辞めた。小さい頃から習わされていたピアノ。ピアノは好きだったけど、本当は独学でやりたかった。
どうしたいか考えて思いついたものを一気にやった。
だってもう
何を好きになればいいのかも、
何を嫌いになればいいのかも、
もう全てが俺だけのものだから。

そう全て俺が自分自身で選んだもの。
自分の意思で選ぶ事にずっと憧れていたはずなのに、本当にこれで良かったのかこの選択は間違ってないのか不安で仕方ない。もし間違えた選択だったら。これで失敗したら。

一体俺はどうしたらいいんだ

…あぁそうか、大人ががんじがらめに俺たちを縛っていたのは、俺たちを守るためでもあったんだ。
俺たちは自由になった。その代わりその自由に騙され、踊らされ生きていく。
もう大人に守られていた場所には引き返せない。戻れない。
たとえ自分で選んだ道の先で失敗しても自分で立ち上がっていかなければならない。

それでも。

『それでも最後に笑うのは僕らだ。』

自由に捕われる/カンザキイオリ


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