出会いとは不思議なもの哉

そんな当たり前のこと、と思わなくもない。
出会いとは偶然だと、いや必然だと、会話の中や歌詞の中で使い古されてきた表現だと思う。答えが出ないからこそ、やっぱり「不思議だ」という言葉がしっくりくる。

この人との出会いに関しては、自分のこれまでの歴史を遡ればばさかのぼるほど、あそこで「ああして」いなかったとしたら。永遠に出会うことはなかった人だ。そして、この人との出会いがなかったら、今こうしてこの記事を書くことはなかった。

本当にまるで、「ピタゴラスイッチ」のピタゴラ装置のように、球がコロコロ転がって、何かにぶつかった反動、何かを通った反動で次のアクションが起こるかのように。思い返してみると、この人との出会いはそんな感じだったように思う。

この人のことを、取り急ぎまりこ先生と呼んでおく。
私より年上で、自分で事業もやっている、私のメンターのような人だ。

まりこ先生と私の住む世界が交わることは、多分普通に生きていたらなかった。友人に紹介された人に紹介された人。「六次の隔たり」という言葉がある。Wikipedia曰く、「全ての人や物事は6ステップ以内で繋がっていて、友達の友達…を介して世界中の人々と間接的な知り合いになることができる、という仮説」らしい。友達の友達の友達は自分とは全く違う世界に住んでいる、ということもざらにあるということか。

そもそも最初のきっかけを作ってくれた友人は、私が台湾で出会った人だ。
そして、そもそも台湾に行くきっかけになったのはアイルランドに行ったという前提があったからだし、台湾に行くことも、東日本大震災がなければ、もしかしたらなかったかもしれない。それに、今となっては台湾に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになるのだが、台湾に対する致命的な勘違いがなければ、そこに行くという決断はしなかったかもしれない。このへんについては、機会があれば別の記事で書いてみたい。

台湾で日本語教師として働いている時にお世話になった現地の和食バーの店長。その店長に紹介してもらった人(今となっては全く交流がないが…)を通して出会ったのが、このまりこ先生だ。

今の自分の人生は、そういったその時々の判断の上での行動の積み重ねだと思う。そう考えると、本当に出会いというのは不思議なものだし、いっそ目に見えない誰かにうまい具合に操作されてるんじゃないかと思わなくもない。

そういった不思議な力に誘われて出会った人たちによって形作られているのが私の今の人生だ。そして、「これでいいんだ」と思えるのは、幸いなことだ。

さて、このまりこ先生という方。この人自身もかなり不思議な人。元ピアニストのカウンセラー。ヒーラーとも言うのかな。とにかく、本当に「千里眼でも持ってるんじゃないの…?」と思うくらい、凡人が見えてない世界が見えている人だ。こういった職種に対して多分否定的な意見を持つ人はいるとは思うけれど、実際それによって救われた人はいるので、私はとても信頼している。私自身もその周りもずいぶん救われた。

まりこ先生にしかできないことを惜しげなく人に施しているところがすごい。もちろんボランティアではない。互いに対価を払うからこそ、それに対する責任感がある。そういった決意を感じる。そして何より、まりこ先生が成すことについて、まりこ先生自身が誇りを持っているのだ。

冒頭に戻るが、私が今こうしてこういった記事を書いているのは、このまりこ先生の一言がそもそもの始まり。一番最初に会った時に、

「あなた、自分で何かやったらいいわよ」

と言われたのを覚えている。そしてまりこ先生は今もその時のことを思い出して、「あのときはとんでもないです!無理です考えたこともありません!って言ってたのにね」と、よく私に言う。

本当にすごい千里眼スキルを持っていると思う…。ちょっとでいいからそのスキルを分けてほしい。

鶏が先か卵が先かの議論で、まりこ先生が私の未来を見てそのことを言ったのか、まりこ先生のその言葉を真に受けて、私が行動したから今の未来に繋がっているのかは、並行世界の自分と比べられない限りわからないわけだけれど。

いつかまりこ先生の力を借りて、Musubi Tripでプログラムを設けるつもりでいる。その時は、ぜひ皆さんも実際にまりこ先生に触れて、「世の中不思議なことがたくさんあるんだな」体験をしてもらいたいし、まりこ先生の情熱を感じて、普段の自分のいつもの世界がちょっといつもより色づいて見えるようになってもらいたい、と思っている。

ちはや ふみ


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