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小川洋子さんについて考える

お風呂の中で小川洋子さんの『密やかな結晶』を読んでいたんだ。お風呂なので熟読ではなく、パラパラッと。

この本はまだ独身時代にハードカバーで買っていまも家にあるのだけど、お風呂用は中古で買ったもの。基本的にお風呂ではできれば中古、できればカバー付きの文庫を読む。最近、近所の書店では有料になったが、本にはカバーを巻くのが好き。あの、クラフト紙のものが好きなのだけど、最近はAmazonで買ったり裸のものも増えたので、Amazonのサイトから落としたデータでカバーをプリントして自分で巻くことも増えた。コピー用紙なのが残念。巻くのは上手くなった。

中古の物まで買ったくらいなので、わたしはこの本を非常に好んでいる。小川洋子さんの代表作といえば『博士の愛した数式』だが、ちょっと言わせていただくと『博士の愛した数式』は小川洋子さんの作品の中でも平たい、受け入れられやすい作品のように思える。わたしはどちらかと言うと作品群の中でも、ピンセットで言葉を摘んで集めたような、偏執的な作品の方が小川洋子さんらしいと思っている。なので『博士の愛した数式』が好き、と聞くと、他の作品はたぶん読んでないんだなと思う。小川さんの世界はもっと広くて浅くて怖い。簡単に言えば毒がある。

『博士の愛した数式』の中でもラストの方は女同士のやり合いみたいなものが出てきて、たぶん読者はそれまでの流れを壊されて不快に感じるのじゃないかと思う。でもあそこからが小川さんらしい意地悪さの見え隠れするところで、それがエンディングでの主人公のヤキモキした気分に繋がる。意地の悪い小説だなと思う。主人公は真っ白な善人ではないことが窺える。(そしてわたしはそこが好き)

『密やかな結晶』では、『博士の愛した数式』の博士が記憶をなくすように、島の中のいろいろなものが、ランダムにひとつずつ失われる。いや、存在意義を消される。島の人たちはある日突然消失した『なにか』を数日ですっかり忘れてしまう。どんなに大切なものでも。

つまりここでも失われ続けていくのだ。

そうして失われながら、主人公は『小説』を書いていく。みんなが好む「失われていく」小説を作り上げていく。つまり、「失われること」と「物語を紡ぐこと」はベクトルが正反対なのだ。その、正反対のベクトルがある世界の中で、主人公も少しずつ『消失』していく······。

なぜ好んで失われるものを書くのかな、と思っていた。同じ作者の作品に『人質の朗読会』がある。これはわたしが好きな本10選をえらぶときに必ず入れているのだけど、とある国の大使館に集められた日本人の人質たちが毎日、ひとりずつ好きな話をする、という物語だ。これについてはネタバレになるので突っ込むのはよそうと思うが、やはり失われていく物語だ。

小川洋子さんは失われていくものの中に生まれていくものを見ている。その目線は普段、わたしたちには無いもので、小川さんの目を通して描かれるとまるでガラス細工のように脆く、また純新無垢なもののように見えるのだ。

そういった目線で小川洋子さんの作品を再読、或いは読み始めてみてはいかがでしょうか? 先述した3作品はどれも間違いなくお勧めです。失われるものが生み出すという不思議を体感してみてください。

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