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3 years/石の"前"にも3年

MUSTAKIVIの代表の黒川です。皆様には日頃よりご愛顧いただき心より御礼申し上げます。今後noteでの配信をさせて頂くにあたり「3周年の節目」で書いていたテキストをシェアさせて頂きます。今後とも主観的な話をツラツラとタイプさせて頂きますのでお暇な時にでもご覧ください。


よく聞かれますが、MUSTAKIVIKIVIとは、フィンランド語で、石本さんの「」という意味。MUSTAは僕、黒川の“”です。黒と石。青山のスパイラルさんの地下で食事をしている時に半ばノリで決まった名前です(他に考えていた名前があったので当初僕は反対だった...笑)。

私もスタッフも”KIVI”と名のついたコトに携わっている以上、この3年ほどは毎日“石本藤雄”についての”何か”は、意識的にも、無意識的にも考えてきたと振り返ります。たぶん、時間だけでいうと、同じ時期にここまで考えた”場”はなかったのではないかと思います。

今思うと、荒っぽいスタートだったし、まだまだ試行錯誤の日々だけど、3年前に走り出した僕らは、変な欲だけは持たず、純粋に“石本藤雄”について考えてきました。

この場所で知ってもらい、続け、残していくとは「どういうことか」と考え続けてきたと思います。

また、その過程で出会った様々なお客さま、関係者、つくり手の方々の多大な助けがあったから進んでこられたということは言うまでもありません。改めてお礼申し上げます。

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ムスタキビのやりたいことは「石垣を積み上げていくようなこと」とオープンした頃の石本さんとのトークイベントで偉そうに語ったことがあります。

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      (↑これはオープン時のレセプションの写真)

加えて、石本さんが「カイ・フランク賞」を受賞した時のポスターに使われていた写真は日本もフィンランドもそれぞれ一つの“石”だったけど、今は“石”の周りに様々な“石”が集まり、積み上がっていっているから次の何かの写真は石垣ですね、みたいなことを言ったと思います(その時、会場にいた故・湯川さん〔CASE GALLERY〕が「よう言った!」と関西弁で褒めて下さったのを思い出します)。

いまでも発言したときの気持ちは変わらず、ほんとそうだと思っています。

スクリーンショット (1283)

(1994年、フィンランドの優れたデザイナーを表彰するカイ・フランク賞が石本さんに授与され受賞を機にヘルシンキ市内で開かれた個展のポスターは石本さん自身の撮影&デザインによるもの。上の石は日本(伊勢神宮)の石。下の石はフィンランド(ウツヨキの教会)の石。意図せず同じフィルムに残っていた2枚の写真を用い「日本に居たらこうなっていただろうという自分(真面目・几帳面)と、フィンランドに留まることでの自分(自由奔放・生き生き)」を表現されている)


- 見える石もあれば見えない石の積み上がり方もある -

積み上げたり、崩れたり、崩れていないと思っていたら中は崩れていたり、割れてたり、、なんて色々とありましたが、僕の中では「変に背伸びして中途半端に整って積み上げなくて良かった」とも思っています(ここで突っ込みたくなるスタッフの顔が思い浮かぶけど…笑)。純粋に、変な積み上がり方もあるけど、変な“演出”はなかった。と振り返ります。

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- MUSTAKIVI = 石本藤雄+〇〇における純度の高い”フィルター”として、色々なヒトやモノやコトをくっつける接着剤のような存在=存在価値あり / ただ可愛いものだけを作るなら他にも沢山在る=存在価値なし-

石本藤雄の故郷の地で、活動を伝え、残していくということ」、その気持ちの純度を高め、伝えることを精一杯行っていきたい、そのためのブランドだと考えています。

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自分たちを介し発信することの「責任」を持つこと。最終的な「伝え手」となるのは我々であり、お伝えした方の手に残る品は、それぞれの場所で、その「使い手」の方との“物語”を紡いでいく。だからこそ、ひとつひとつを整理して“自分たちの責任と気持ちが届く範囲の場所(=場所は何処であれその範囲がLOCAL)”でしっかり研ぎ澄ませる。石本さんをはじめとして、様々な方々との活動において、その意味や背景、想い等を汲み取り、咀嚼し、まとめることも、ムスタキビが介在する意味であると思っています。そこに「縛られない心」と「オリジナリティー」と「責任」を持つこと。

・使い勝手のよい”大きさ”とは?“かたち”とは?
・地域の設備や素材をムダにしないことは?
・守るべき特徴とは?有志によって”変えてでも守られてきたモノ”とは?
・世の中に価値のないモノやコトとは?
・”くらし”で大切な“1つか2つのモノ”とは?

そのような問いを抱き続け、それらを実現できないのであれば、体制も場所も変えていくべきだとも思っています。

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まだまだ未熟ながら、そんな“責任”と“やりがい”のような気持ちを感じる状況のなか「生まれた場所に根を張るようなものづくり」とは、石本藤雄さんも、場所はフィンランドであれ、フォーマットはテキスタイルであれ、陶器であれ、本質的には同じことをされてきたのではないかとも考えさせられます。

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テキスタイル・デザインに散りばめられた“故郷の原風景”。人工的な場所では再現しようのない、長い年月をかけてつくられた“砥部”という場所の豊かな自然、暮らし方、有機的な線、ゆったりとしたリズム。石本さんが意識的にも無意識的にも表現されてきたものから、我々が汲み取れていないところは、まだまだあると思います。

ご本人も作品も、言葉数は少ないし、良い意味で”ひっそり”としか語らないけど、我々が認識することを忘れてしまっている「いま気づくべき“大切な価値(value・ちなみにフィンランド語では”arvo")」があると思っています。

石の“前”にも3年
まだまだ未熟ですが、精進してまいりますので引き続きよろしくお願いいたします!

Mustakivi/黒川


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