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一首評集

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歌人・虫追篤によるnote記事の中から、一首評をピックアップ。
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#エッセイ

一首評:田中有芽子「2023年3月4日 日経歌壇」掲載歌

定型であるように読むならば「間」は「あいだ」と読んで、「こうしてる/間にも半/熟卵/自身…

虫追篤
1年前
1

一首評:山田富士郎「地の塩」より

ひとつの街の変遷や栄枯盛衰がクールに描写された短歌だと思う。 さらにこの短歌は、わたしの…

虫追篤
1年前
9

一首評:吉田恭大「わたしと鈴木たちのほとり」より

穏やかな時間を心から希求するようなうただと思う。 まず、初句から四句目までを使って息の長…

虫追篤
1年前
3

一首評:鹿ヶ谷街庵「2023年2月5日 うたの日(題:デー)」

読み進めるにつれ、寂寥の「役」が上乗せされていくような短歌。 上の句では「淋しさ」「象徴…

虫追篤
1年前
4

一首評:藤原建一「2023年1月14日 日経歌壇」掲載歌

「借りもののことば」「借りものの表情」が横行する社会への怒りのうた、であろうか。 私も20…

虫追篤
1年前
2

一首評:穂村弘「シンジケート」より

雪が降った日には、Twitterの短歌界隈ではもはや慣例のように「ゆひら」という言葉が飛び交う…

虫追篤
1年前
8

一首評:山田富士郎「木葉木兎党」より

「橋脚をうつ」ものはどちらなのだろう、とずっと考えている。 この短歌はおそらく冬の新潟、しかも信濃川か関屋分水路、阿賀野川の河口近くの光景なのではないかと思う。 舞台が新潟ではないかと思うのは、作者の山田富士郎が(この短歌を詠んだ時期は)新潟在住であることはもちろん、この短歌を含む連作「木葉木菟党」には、冬の新潟を思わせる短歌がいくつか見られるからだ。 わたしも新潟出身であるため、冬の新潟の光景は記憶に強く残っている。冬になると、海は荒れ、河口を「さかのぼる」ように波が

一首評:谷じゃこ「つよくいきる」より

実は吉幾三は日本にとっての「呪い」なのではないか、という短歌。 「こんな村いやだ」という…

虫追篤
1年前
7

一首評:山田富士郎「異界の橋」より

ずいぶんとグロテスクなうたである。 あまり馴染みのない文字にまず目が引きつけられるが「蛞…

虫追篤
1年前
2

一首評:山田富士郎「パルジファル」より

「それだ!!」と思わず唸ってしまった比喩が魅力の短歌。 「ユーミン」こと松任谷由実(ある…

虫追篤
1年前
3

一首評:三田三郎「最敬礼」より

なんか急にわかっちゃった気がして、この一首評を書き始めている。いやもしかしたら、わかっち…

虫追篤
1年前
3

一首評:吉川宏志「曳舟」より

音の並びが場面の美しさや鮮やかさを演出することに気づかされた歌。 今回は、自分の無知を晒…

虫追篤
1年前
7

一首評:岡野大嗣『たやすみなさい』より

カップラーメンをつくる動作のなかには弔いの所作があることを発見する短歌。 形の上では8867…

虫追篤
1年前
3

一首評:大西民子「分身」より

みえないところ、みなくてもいいところにさえ潜む不安や居心地の悪さを気づかせてしまう短歌。 「石臼」はさすがに私の年齢でももはや身近な器具ではなく、映像や民俗博物館の中で見るようにものであるが、それでもそのつくり概ねわかる。 穀物などを挽くための重い石がずれた状態で重なっている。怪我や破損に繋がりそうなその事態は確かにかなり危うく「不安」なものだ……三句目まで読んで素直にそう思う。 しかし四句目で「よみがえりつつ」と来る。ということは、〈作中主体〉は今目の前にある「石臼」