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コロナとオレの成長記④

コロナのパンデミックが始まってからずっと生きた心地がしなかった。
100年に一度のウィルスに世界中がパニックになって店の売上も目も当てられないくらい激減した。
心が何度も折れた。

とまぁそんな事は何度かSNSに書いてる気がしてる。

今1番申し訳なく記憶に残ってる事は、コロナ以前から販売してた「お持ち帰りラーメン」をスタッフと共に厚かましくも知り合いに直接電話を掛けて買って頂いた。

スタッフと総出で日銭を稼がないとどうしようもなかったんだ。
マジ辛かった。プライドも何もあったもんじゃなかった。

お店にお客さんが来ないので
僕の仕事はウーバーイーツの配達員の様な感じになった。
お持ち帰りラーメンのご注文を受けては毎日配達してた。
買って頂いたお客様の記録はもちろん残してる。




倒産と向き合いながら、スタッフと自分の生活を守る為に少しずつ前に進んだ。

この3年くらいめっちゃ頑張ってるなぁ。攻めてるなぁ。
と言われるけど僕にはその感覚はない。
やらなきゃ死んでしまう。
自分のやるべき事に真摯に向き合った。
ただそれだけだ。
そして毎日少しずつ前に進む事が習慣になった。

緊急事態宣言の発令された時の飲食店は酷いもんだった。
飲食店にお客さんが行ってはならない空気が世間に漂ってた。
それは残念ながら今も少なからず残ってる。。。

あの頃は。飲食店にご飯を食べに行ってて、そこでもしも知り合いに出会ったら
「えっ。オレがここにおる事黙っといてな。やばっ!」ってなってた。
そんな感じだ。
飲食業を生業としている者から言うと
死刑宣告に近かった。
もちろん政府からの補助は有り難かった。


スタッフを守る為に全てのリスクを取って売上を回復させる事を自分の使命だと僕は勝手に思ってた。
コロナが始まってからの3年間で
フィットネス事業を始めたり


お芋スイーツのお店も作ったり


生まれ故郷にラーメン店を作った。



倒産が怖くて死にものぐるいだった。
生き残る為にやれる事を全てやった。

高槻のラーメン店はコロナによって潰された。
死ぬほど悔しかった。



この先に、世の中を狂わす何か大きな事がやって来たらラーメン屋だけをしていたら自分に関わってくれる人を守れないと知った。
お陰様でコロナ以前には3店舗だった店舗数がコロナが終わろうとしている今、6店舗になった。

お陰様で売上も約倍になった。
スタッフの数も倍になった。

もうすぐコロナが完全に終わる。
コロナが自分と事業を強くしてくれた。

コロナよ。
おらワクワクしたぞ。
おめぇなかなか手強かったぞ。
もぅ悪さするなよ。
気をつけて帰れよな。
#悟空かよっ

コロナくんお疲れ様。
あばよ!
#柳沢慎吾かよ

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